ミドルからシニアにおいて認識しておくべき病院の在り方
2年ほど前のことだが、様々な統計データを人工知能に投入することで提言を引き出すといったNHKの番組があった。その提言はいずれも斬新なものであり、ネットでも大きな反響となったことを記憶している。
提言のひとつに「健康になりたければ病院減らせ」というものがあったかと思う。
これについては、その後、統計手法に問題があるのではないかといった注文もついているようだったし、そこにはデータを離れた大人の事情もあったように見受けられたが、異なる複数のデータから相関性を探る取り組みは、意外に興味深かった。
「健康になりたければ病院減らせ」とは、つまりは病床数が少ない地域ほど、健康寿命が長いといった統計データに基づくものだったかと記憶している。
さて、これはどういうことなのか。
■病床数が少ない地域ほど健康寿命が長い?
一般的に考えれば、高度な医療技術を持った総合病院が多ければ、それだけ地域住民はその恩恵を受けそうな気がする。が、統計データは、一般的な認識とは逆の結果をはじき出していた。
医師からは早速クレームがついていたように思う。病床数が減ったとしても在宅医療に力を入れている地域においては、ケアの品質が向上する。よって端的なデータの相関性は、真実を言い当てていないとの反論だった。
しかし「健康になりたければ病院減らせ」は、案外真実も含んでいるのではないかと、妙に腑に落ちる部分もある。
というのも、身近には妻の両親といった後期高齢者の存在があり、このお二人を観ているだけでも感じることが少なくないからだ。
■多くの薬を処方される後期高齢者
まずはこのお二人、とにかくあちこちの病院へと通う。
たとえば膝が痛いからと整形外科へと行き、頭痛がするからとMRIで脳を輪切りにしたりする。また、風邪を引いたらしいと内科へ通い、緑内障のリスクを感じて眼科へと通う。
総合病院はいつも混雑しているようで、数時間は待たされるという。いつもぐったりとして帰ってくるので、見ていても少々かわいそうに思える。
そしてそれぞれの病院において処方される大量の薬を、お二人は日々真面目に服用している。
「これ、全部飲むんですか?」ときくと、
「この歳になると、あちこちにガタがくるので」という。
また、病院に行って新たな症状をうったえる度に薬が増えるという。
私は医学の知識はないので、素人としての考えしか述べることができないが、薬は疾患による症状を緩和させたり、病の進行を遅らせることを期待できるはずである。
しかし薬とは、化学薬品の塊である。局所的に問題解決にある程度貢献することはできるだろうが、体内に入った化学薬品を、肝臓は必死になって分解しているはずである。
ところが、後期高齢者の臓器は、機能的にも衰えが進んでいる。また、過度な使用には適していないはずである。そんな後期高齢者に対して、多量の薬剤を進めること自体に何らかの問題はないのかと少々不安にもなる。
最近は、多剤大量処方が社会問題化してきている。後期高齢者が多剤大量処方をされてしまうと、その影響やリスクは大きいのではと考えるだどうなんだろうか。
■健康になりたければ病院減らせ
もし仮に、近くに総合病院がなく気軽に病院に行くことができない場合、二人はこれほどの薬を服用することはないはずである。となれば、自力で予防策を考えるしかない。
病気になってすぐに病院にかかり、薬を得ることができないわけだから、それなりの予防策を講じる以外にないのではないか。また、そんな意識を持つことができれば、少なくともあの大量の薬を飲むことはないわけであり、結果として健康体が保たれる可能性もあるのではないかと考えてしまうわけである。
よって、ミドルからシニア世代においては、病院に依存しすぎるのも問題があるのではないかとも思える。健康から離れたライフスタイルを押し通しつつ何かあれば病院に依存するのではなく、むしろ病気を寄せ付けないライフスタイルや意識を持つことも、ある意味重要なことなのではないかと思う。
まあ、定期健診に病院を訪れるのは必要な事かと思う。早期発見で命をつなぐ方も少なくないからである。しかし、ちょっとしたことで病院や薬に依存しすぎるのも、どうなんだろうとも思えるわけである。
「健康になりたければ病院減らせ」
AIによる提言は、あながち間違ってはいないのではないかと思えてくる今日この頃である。