50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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50代からは意図して感動の機会を作る必要ありという話


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ミドル以降の領域に到達されたのあなたは、最近感動をしていらっしゃるだろうか。

人生半世紀も歩んできていると、誰もが様々な知識を得たり経験を経ることになる。このため、少し先のこともおおよそ見通すことができるようになるものだ。想定の範囲内での行動となり、そこには若かりし頃に味わった新たな感動はなかなか得にくくなるのではないだろうか。

何か事をなすにしても、これまでの経験値からおおよその予測を立てることができるので、想定外の事象に出くわすことはあまりない。意外な展開を観ることもなく、よって感動的なシーンに出会う機会も少なくなる。

「確かにおおよその知識はあるので、想定外の事象に苦慮することはない」

そう思われるだろうか。しかしこれ、実はかなり危ないことと言える。そこで今回は、50代からは意図して感動の機会を作る必要があるというお話をしてみることにしよう。

■自分はおおよその事を知り抜いている

「自分はおおよその事を知り抜いている」

もしあなたがこのように自己を評価していらっしゃるのであれば、それは実はかなりリスキーな状況下に陥っている可能性がある。

なぜなら、個々の主観とはあくまでも限定された世界であり、その世界での経験や知識を持ってあれこれと考えるだけでは、自分の範囲を超えた何かを掴むことが困難となるからである。

実は、自分が見聞きしてきたことは、全体のほんの一部の知識であり経験でしかない。人は、あなたとは全く異なる考え方で物事を見ているし感じている。仮に人の意識の中に入り込むことができたなら、きっとそこには自分とはまったく異なる世界が広がっているはずである。

よって、半世紀程度生きてきたからと、そこから得た知識や経験が、すべてを見通す指針となるかというと、なかなか難しいものなのだ。

「いや、自分の経験はおおよそ正しい。なぜなら想定した通りの事象しか発生しないからだ」

ご立派である。ところがこれは、経験が深いのではなく、経験の世界の中に自分の行動範囲を収めてしまっているかもしれないことに気づかれる人は意外に少ない。つまり、年齢を重ねるごとに、自己の知識や経験のみに依存するようになり、その範囲内での行動に自ら制限を設けてしまう傾向がある。

たとえば、第三者の意見や考え方に耳を向けることがないし、聞いたとしてもそれを否定してしまう。

「そんなはずはない。なぜなら私の見識とは異なるからだ」という具合である。

自分の想定内での行動であるわけだから、おおよそリスクは少ない。そしてリスクが少ないからこそ、それで正しいという思考パターンが、自己の中に自然と形成されてしまうわけだ。

確かにリスクが少ないわけだから、それはそれで価値がある。ところが、小さな世界の中に限定した動きとなることから、リスクが少ない代わりに感動もないということになる。

もし、日々がどちらかというと灰色に見え始めたのなら、あなたはそんな状況下に陥っている可能性がある。小さくまとまってしまうことになるわけである。

■自己の意識をより柔軟なものへと変えていく取り組み

「そうは言っても、今更どのように生き方を変えたらよいかわからないし」

最も簡単なことは、意図して感動の機会を作り出すことである。加齢とともに、自分の世界に閉じこもるようになったとしても、人には感動する余地が残されている。

自分の知識や経験値をフィルターに物事を見ていたがために、感動を味わう機会を逸していただけであり、それを取り払い、ピュアな世界をみることを意識的に行えば、誰もが感動の数々を取り戻すことができるはずなのだ。

また、感動をするためには、意識してこれまで以上に様々な情報をインプットする経路を設けるとよい。たとえば、書籍に求めるのも良いだろうし、あれこれと映画やドラマを観るのでも良い。奥さんと共にのんびりと野山を歩くのでもよいだろうし、訪れたことのない地を旅するのでも良い。海外に出て知らない文化に接するのもよいだろう。

これまで望んでいただけで実行に移すことがなかった事に着手するのも良いかもしれないし、知らない言語に触れてみるのも良い。日本や世界の歴史をさかのぼり、独自の研究をしてみるのも面白そうだ。

自分の見識のみが正しいものではなく、実は膨大な世界がその外側に存在することを認識し、これまでふれてこなかった自分の殻の外側を、意識して観る機会を作り出すことで、徐々にではあるが、固まっていた自己の意識がより柔軟なものへと変化し、新たな感動をそのまま受け入れる体制が作り出されるはずである。

すると、どちらかといえば灰色だった世界は、50を超えてなお、まばゆい世界としてキラキラと輝きだしてくれるかもしれない。

人生まだまだ半ばである。今後の人生を、感動の中で幸せに過ごしてみるのも悪くないと考えている。ぜひご一緒に、残りの人生を楽しもうではないか。

 


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