[第3話]労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律等の一部を改正する法律
■法改正の裏に潜むリスク
これまで2回に渡り、労働派遣法改正について、その疑問点や問題点も含めて説明をしてきた。いかがだっただろうか。本改正法については、各所でその問題点が指摘されているので、ご興味があれば、ご自身でよく調べてみて頂きたいと思う。
大義名分的には「派遣労働者を長く続けても良いことがないので、皆3年ということにするね。でないと、生涯派遣労働者として働かなきゃならない人間が増えちゃうからね」という改正法であるはずだ。
ところが、3年の期限が到来した後、派遣労働者が正社員雇用される少ないチャンスを撤廃し、しかも企業の正規雇用を、強制力のない「努力」に留めている部分に大きな矛盾点がある。というよりも、この法律には別の意図が見て取れる。
まずは派遣会社の淘汰だ。今回の改正において、弱小派遣会社は明らかに淘汰されていくだろう。新規参入も難しくなることが予想される。また、3年の制限を設けたことで、派遣労働者の流動性が促されることになる。つまり、資金力のある派遣会社は、他社からの人材を取り込むことが容易になる。つまり、市場にあふれた商品である人材を、かき集め、それによってより高い利益モデルを構築することができるようになる。
うがった考えだろうか。むしろそうであれと願うばかりだ。あくまでもこれは個人的な憶測にすぎないが、この改定には、一部の思惑が絡んでいるように思えてならない。また、同時に、正規労働者の賃金を、徐々に下げていくモデルも、この改正には内在しているように見て取れる。
■現在の問題を払拭することができる代案とは
「そんなに文句がいいたいのなら、代案を出してみろよ」
と、そんな突っ込みが入りそうだ。
別に文句をつけている気はないのだが、確かにネガティブな意見ばかり述べていても意味がない。もともとみんなが幸せになることを望んでいるわけであり、重箱の隅をつついてばかりいても、事態は何一つ改善しないのは確かだ。
そこで、次に代案をひとつ。これは、派遣労働者を減少させるとともに、安定した生活ができる正規労働者を増加させる効果がある。また、同時に派遣労働者の生活をも豊かにする改正案である。
実は、シンプルに考えれば、方法は実に簡単なことなのだ。それは、派遣労働者の最低賃金を法で整備してしまえばよい。あくまでも例えばの話だが、「派遣労働者の最低賃金は時間給2000円とする」との一文を法律に組み込めばよい。
時給2000円ということは、1日8時間、一か月20日間勤務で32万円になる。これでも年収は384万円だから、決して高い賃金ではないが、最低でもこの金額が保証されるのであれば、派遣労働者の生活は、現状よりも楽になるはずだ。
当然、そんな金額を支払いたくないと思う企業は増えるだろう。しかし、モノづくりの国、日本において、末端の労働を排除することはできない。そこで、派遣社員の雇い入れをやめ、より安く使うことのできる正社員の雇用を増やし始めることだろう。よって、正社員の雇用状況は徐々に改善傾向を辿る。
一方で、派遣労働の収入に魅力を感じ、正社員を辞める人間もでるはずである。すると、企業はその部分の穴埋めを、正社員雇用で補う必要が生じる。正社員の雇用状況はさらに好転するうえ、正社員の基本給にも改善がみられるかもしれない。つまり、安定した正社員の生活を取るか、ある程度の賃金を得ることのできる非正規社員を取るかの職業の選択権が、そこに発生する。
もともと非正規労働の問題点とは、不安定でかつ過酷な労働、さらには低賃金という悪条件が重なることにある。そして、正社員になりたいと望んでも、そのチャンスを得ることができないといった、労働における選択の自由が存在しないことに大きな問題がある。自由主義社会において、選択の自由が得られないのはさすがにまずい。しかしこの問題は、このようなシンプルな法改正において改善することができるわけだ。派遣労働や、派遣労働者の増加が問題ではないのだ。
■代案の波及効果
派遣業界にも新たなニーズが広がる。これには法の整備も必要だが、派遣労働者の賃金が上昇すれば、これまでにない特化した技術や能力を持つ分野における派遣労働形態が生まれるはずだ。年棒制の派遣労働形態も生まれることだろう。現在でもIT関連には、1000万円の年収を超える派遣社員は存在するが、さらに特化した職種においては、数千万円を得ることのできる分野が登場するかもしれない。すると、高い知識やスキル、技術を持った人間が、かならず派遣業界に流れ込んでくる。
「でも、そうなったら企業の収益率が悪化してしまうではないか」
これについても問題はない。もう少し読み進めて頂きたい。
この改定により、人々の暮らしは豊かになる。なぜなら、400万人以上もの派遣労働者労の給与が上がるのだ。この経済効果は計り知れない。すると消費動向にも改善を見ることになる。デフレからは本格的に脱却し、しかも、これまで下落を続けた実質賃金も、やっと重い腰を上げ、上昇傾向へとシフトする。
そして、この恩恵を受けるのは、私たちのみならず企業体だ。一時的に落ち込んだ企業の収益は、必ず上昇傾向を辿る。乱高下を続ける株価は安定成長のチャートを形成することだろう。すると、この時点で資本家にも利益がもたらされることになる。そして企業収益から捻出される税収がさらに上向き、福祉医療や年金におけるコスト問題も徐々に解消されることだろう。増税が決定している消費税も、撤廃へと向かうかもしれない。政府の公共投資事業も増え始めることだろう。
資本主義経済においては、お金の流れこそが繁栄のための源泉となる。よって経済は本格的な上昇スパイラルを形成していく。つまり、みんなで幸せになることができるわけである。
■エピローグ
さて、いかがだっただろうか。今回は3回に渡って労働派遣法改正について書いてきた。「みんなで幸せになる」と書くと、少々胡散臭さを感じるかもしれない。しかしそんな時代も昭和には存在した。一億総中流時代がそれである。ではなぜ、昭和の一時期、そんな時代が形成されたのだろうか。これは、第二次世界大戦とそれに敗戦したことが起因している。敗戦により、日本はすべてを失った。多くの人間がバラックからの生活を余儀なくされたのだ。これはつまり、みんなが何も持たずに、スタートラインに横並びとなったことに等しい。
勤勉でかつ優秀な日本人である先人たちは、家族のため、自分のために必死に働いた。そしてこの力が急速な復興を実現することになる。また、誰もが何も持たない状況は、爆発的な需要を生み出した。作れば物が売れる時代の到来だ。企業は、生産力を向上させるため、必死に人をあつめなければならない。このため終身雇用制度が登場するとともに、賃金も年々上昇することになったわけだ。そして、焼け野原の日本は、急速な復興を遂げることになったのだ。
資本主義社会とは、あくまで自由主義であるわけだから、次第に格差が広がるのは致し方ないことではある。頑張って資産を構築していく人間もいれば、俺のような底辺にへばり付いたままの人間もいる。また、資本によって生み出されるお金を、労働によって生み出すお金が超えることはない。よって、今後はさらに格差が広がり続けることだろう。しかし自由主義の国なのだ。ある程度はこれもまた致し方ないことではある。ただ、過度な格差は好ましくない。それは、大きなゆがみを生み、その結果として、資本主義社会自体の終焉につながるリスクさえあるからだ。
頑張って勝ち組を目指す者、頑張ることなくしかしそれでも平和な人生を送りたいと願う者、負け組でも気楽に生きたいと願う者、様々な人ががいてよいと思う。そしてその結果として、個々に収入の格差が生じるのは、むしろ当然のことだろう。
しかし、自由主義を貫くのであれば、せめて選択の自由は残されるべきだと思う。選択権を持つことのできない社会、これまでの日本を作り上げてくれた老人に苦悩を強いる社会、そしてある時、昇りたいと願ってもそれがかなわない若者を作り出す国であってはならないのだ。
と、底辺爆走中の最低男が語ってみても何も変わらないことだろう。しかし、偉い先生方々にはその力がある。ぜひとも、日本国民がもう少し幸せになることができる国づくりを、目指していただきたいと切に願っている。
「頑張れ、ニッポン!」