50代からの貧乏ながら気楽な人生

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サラリーマンの立ち位置は今後も弱体化を続ける?


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■同一労働同一賃金の基準となる立ち位置とは

企業はどうあっても労働者の賃金を上げたくないようである。利益が出ていない企業であれば納得もいくが、多大な利益を計上している企業においても、労働賃金の引き上げには極めて消極的な対応がうかがえる。

働き方改革の一環として、同一賃金同一労働の動きがあるが、この目的は正社員と同じ働きをする非正規労働者の待遇改善にあったはずである。ところが非正規労働者の待遇改善を明確にうたわない。このため、正社員の賃金を逆に下げるのではないかといったリスクも予想されていた。

先日、ある企業において正社員の住宅手当撤廃が発表された。企業側の言い分としては、現在非正規社員に住宅手当が支払われていない。今後、同一賃金同一労働の流れに沿うことから、正社員についても住宅手当は撤廃することとなったというものだった。

これに追従する企業も今後は増えていくことだろう。しかしもしそうだとすると、同一賃金同一労働とは、単に企業の利益を優遇する一方で、市民の生活をさらに苦しいものとする政策ということになる。加えて法人税を減税する一方で、消費税を引き上げようとしているわけだから、どう考えても企業優遇策に走っているとしか思えない。

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■賃金が上昇しない原因はサラリーマンへと向けられる

大手企業がこのような動きを見せているわけだから、当然のこと、中小零細企業において賃金の上昇が具現化されることは難しくなる。よって人材不足がさらに問題となったとしても実質賃金の上昇は困難な状態となる。

当然といえば当然の流れなのだが、最近になって実質賃金の上昇が難しい要因を、正社員の立ち位置に向けた論調が登場し始めている。この論調とは以下のようなものである。

企業では深刻な人材不足状態が続いている。これは賃金を上げないことに要因がある。ではなぜ企業は賃金を上げることができないのだろうか。現状、正社員を企業が雇用した場合、容易に解雇はできない。このため正社員の新規雇用は難しいし賃金のアップは難しい。仮に賃金を上げるためには、正社員の立ち位置を流動的なものとする必要がある。雇用したとしても、企業側が自由に解雇できるようにすれば、企業はより多くの正社員を採用することができる。また、生産性が向上することから賃金を引き上げることも可能となる。よって、現在の正社員の立ち位置を見直し、企業は自由に正社員を解雇できるように変更すべきである。

と、このような流れである。

生産性を上げない正社員の数が多いことから、それが負担となって企業は賃金を上げることができないのだから、自由に解雇できるようにすれば有能な人間にはより多くの賃金を支払うことができるだろうという主張である。

さてこの論調、労働者にとって有益なものとなるだろうか。仮に正社員の解雇を企業が自由にできるようになったとする。企業は不要と思われる社員を次々と解雇するはずである。一方で優秀な人材を新規で雇用しようともすることだろう。結果として賃金は上昇することになるが、次々と解雇した正社員の数だけ雇用する保証はない。

むしろ、徹底的に解雇した上で、必要最小限度の有能な人材を、若干の色を付けた基本給で募集するにとどまることだろう。人員削減部分は人工知能や業務支援システムで補うことが可能となる上、末端の労働力は非正規労働者を必要に応じて雇用すれば事が足りるからである。

つまり、同一賃金同一労働のその先においても、労働者の賃金が上昇することは難しく、仕事を選ぶことができる労働環境は到来しない。多くの正社員が非正規労働者に転がり落ちることだろう。そして低所得で働くことになるかもしれない。また、なんとか正社員として残ることができたとしても、責任はさらに重くなり、過酷な労働環境を強いられる。賃金が上がるのは一部のエリートに限られ、他の社員は賃金を下げられていく。もし文句を言おうものなら、「じゃあ辞めれば?」といった一言が返るだけである。

■労働者の貧困化は市場自体を縮小させる

この流れが根本的に変わらない限り、日本の労働環境が改善されることはない。今後も非正規労働者の数は増え続けるだろうし、正社員の待遇も一部を除いてまったく改善されない。政府の働き方改革は、企業の裁量によりどのように取ることもできてしまう。

企業からすれば労働者は経費である。よってこれを削減しようとする動きは自然な流れでもある。資本主義社会なのだから当然といえば当然である。しかし、高度経済成長期において、日本は労働者を保護しようとした。自分の会社で労働力を保持しておかなければ他社に流れてしまう事情があったわけだが、労働者は必死に働くことで、自らのライフスタイルを徐々に引き上げることが可能だった。

現在、そして今後において労働者の多くは、低賃金でかつ重い責任を与えられ、いつまでも仕事を得られるかの保証は薄くなっていく。

企業の利益率は上がるので、資本家としては望ましい傾向にあると考えているかもしれない。しかししっぺ返しは資本家にも及ぶ。実際、この傾向は昨今の日本にも見え始めている。

■グローバル化が日本企業の多くをダメにしている

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グローバル化を政府が提唱した以降、日本のサラリーマンの立ち位置は弱体化を続けるようになった。また、労働者の立ち位置が弱体化するのに伴い、愛社精神は希薄なものとなり、それは次第に製品やサービス品質を落とすことになった。生産性も極端に落ち始め、それを数字上で補うための不正やデータの改ざんが内部で頻発することになった。

かつては世界を代表した日本企業の多くが失墜を始め、数多くの市場において、日本はその立ち位置を既に他国へと明け渡している。中には、かつての一流企業が解体され、外資系企業にバラウリされるといった自体も発生し始めている。

ひとときの利益、巨額の内部留保の代償として、日本企業は深刻な病を抱えることになったのみならず、日本市場全体の衰退をも引き起こし始めている。

このような流れを見るにつけ、日本企業の労働者は、家族であって良かったのではないかと思えてならない。資本家に利益を還元するのは株式会社なので致し方ないとしても、労働者の生活もしっかりと守り続けるべきだった。しかし現在ではそんな経営体質を取り戻すことは難しくなっている。

今後の日本はどこへ向かうのだろう。政府や公務員が守りに入り、そして大手企業が守りに入る。労働者を単なる経費としてとらえてしまっている日本に未来はあるのだろうか。

そろそろ一筋の光を見たいものだが、なかなかそんな光が見えてこない日本の未来。日本人として、これはとても寂しい事である。

 


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