50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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人生における労働の必要性とその意味の考察


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■真っ当な方の生涯をうらやましく思う

真っ当に学校を出て就職をし、それから以降、真面目に働き続けておられる方々からすれば、日々の労働は当たり前のことであり、その必要性や意味を考える必要はあまりないかもしれない。

平日に起きれば仕事へ行くことはいわば日課であり、だからこそ月末には給与が振り込まれる。給与には若干の不満はあるものの、それでも何とか生活は成り立っているし、週末には遊びに出ることさえできる。また、無制限とは言わないまでも、欲しいモノを購入することもできれば、自分の趣味を楽しむこともできる。

確かに仕事は大変だが、それでも継続して働くことにより、それなりの地位を確保することもできるし、微力ながら会社や社会に対して貢献しているという自負ももてる。結婚をすることも可能となるし、子供を育てることに人生の楽しみや意味を見いだすこともできる。

また、定年退職時にはまとまった額の退職金を手にすることができるし、老後は年金の受給も約束されているので、ささやかではあるものの、妻との静かな時間を過ごすことが可能だ。黄昏ゆく時の流れの中で、自分の人生を振り返えりつつ、そして静かなひとつの人生が終焉を迎える。

と、ごく普通に生きる方の生涯をシュミレートし、そして俺は思う。
「いいなあ。すごいなあ」
55歳になって気づいても遅すぎるわけだが、真っ当な生活とは何とも素晴らしいことでありそうである。

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■真っ当な父の生涯と俺の想い

実は俺の父がそんな生涯を送った。いや、定年退職をしてしばらくして大病におかされて他界してしまったので、全うしたとは言えないかもしれない。それでも父の真面目な働きのお陰で、母はその後も安定した年金収入により、子供の俺に負担をかけることなく生きることができている。

父はとても真面目に仕事を続けた。月曜日から土曜日まで、いつも同じ時間、「ヤン坊マー坊の天気予報」が始まると同時に帰宅をしたものだ。

それは子供の俺にとって尊敬すべきことであるはずだったが、しかし俺は、そんな父を見つつ成長を続け、そして自分の人生は、できればこうでありたくないと考えるようになってしまった。これが、間違いの始まりだったかもしれない。

父が日々真面目に働きながらも、我が家の生活は決して楽ではなかったようだった。まあ、俺自身がひもじい生活を実感したことはなかったが、この点については、子供の自分にとって大きな疑問だった。
「真面目に働いているのだから、なぜもっと豊かでないのか?」

父が多感な頃はちょうど第二次世界大戦の最中であったから、そんな混乱期において、田舎の農家に育った父が高等教育を受けることが難しかったことは容易に想像はつく。

父は頭の良い人だったが、中学を卒業すると上京して仕事に就いた。つまり学歴がなかった。また、独立して何かを始めたいと考えていたようだったが、このプランには母が猛反対をした。よって父の生涯は、他に選択肢を持たないものとなったようだった。

しかし、真面目に働き続けたことは、結果として正解だった。そしてそれを反面教師としてしまった俺の選択は、ある意味間違っていたのかもしれない。

しかしだからと、後悔をしているかというとそれもない。俺は生涯自由に生きたいと考えていた。まあこれ、ある意味間違っているとも言えるわけであり、自由の意味を取り違えているに過ぎないことはわかっている。しかしそれでも、したいことを見つけては、それを追求していく魅力は、やはり捨てがたいものがあった。

 

■人生における労働の意味とは

さて、前置きが長くなったが、それでは人生における労働とは、どのような意味を持つものなのだろうか。
「考えるまでもない。生きるためには働く必要がある。それだけだ」
と、そんなご意見もありそうである。

しかし「生きるため」だけに働くというのであれば、少々の矛盾が生じはしないだろうか。まあ確かに生きていくためには、何らかの収入源を持つ必要がある。生きていくためには、家族を養い子供を育て上げるためには、どうしてもお金が必要となるからだ。
しかしだからと、したくもない過酷な労働を、40年近くに渡って、しかもその大半の時間を投げ売るまでの必要はあるものなのだろうか。

また、仕事に没頭しすぎたが故に、家庭を振り返ることができず、家庭を崩壊させてしまうという方々もいる。特に大手企業に勤務される方の中には、このようなトラブルに遭遇してしまう方々が多いと聞く。

「俺の場合は、仕事が生き甲斐となっている。大変ではあるが充実した人生だ」

このような方は幸せである。仕事が生き甲斐であり、そしてそれを続けることで充実感を味わうことができるのなら、それはそれで最も素晴らしいことである。このようにご自分の人生を評価できる方は、きっと自己の社会的貢献をしっかりと認識することができる職や地位に就かれているのではないかと思う。

つまり、生きるために働くのみならず、働くこと自体を生き甲斐とすることができる人、そしてその結果として幸せな家庭を築くことに成功している方こそ、勝ち組なのかもしれない。

さて、あなたはこの条件に合致した人生を送られていらっしゃるだろうか。一時期は経済大国とまで言われた日本において、真の幸せを手にされている方は、果たしてどのくらいの割合で存在するのだろうか。そう考えながら夜が更けていく。

「考える暇があったら、真っ当に働こうぜ」

もう一人の自分が、そんなことをつぶやいている。

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