50代からの貧乏ながら気楽な人生

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ブラック企業の概念とは何か?なぜブラックなのか


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「ブラック企業」今では誰もが知る言葉となっている。平成生まれの若者の中には、この言葉が日本にはずっと存在していたものと思われている方もいらっしゃるかもしれない。しかしブラック企業たる言葉の歴史は意外にも短く、あなたの人生+αくらいしかないことをご存知だろうか。

「へー。じゃあ昔のサラリーマンは、みんな楽に働くことができたんだ」

と、そう思われるかもしれない。しかし、あなたが生まれる以前においても、サラリーマンの仕事は過酷であることが珍しくはなかった。

残業代がカットされることもあったし、退社時間が毎日22時なんて職場もあった。36協定はすでに存在したが、義務付けがなされたのは平成10年だったはずだから、これを無視した労働を強いていた企業はむしろ今よりも多かった。

「え?マジ?」

マジである。

さて、ではなぜ昭和の時代の過酷な労働はブラックではなく、現在のサラリーマンの労働はとかくブラックが多いのだろうか。これにはいくつかの理由があるように思う。今回は現代の労働の問題点について考察を進めていこうと思う。

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■24時間戦えるビジネスマンが憧れだったあの頃

ところであなたは、次の詞をご存知だろうか。

 

黄色と黒は勇気のしるし
24時間戦えますか?
ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズビジネスマン

 

バブルを生き抜いてきた方々であれば皆ご存知、リゲインのCMソングの一節である。放映はバブル崩壊直前の数年間であったと記憶している。

今であれば「24時間働けるかって、それ労基法に抵触するだろ」ということにもなりかねないフレーズだが、当時のこのCMはとても人気があったし、このCMによって栄養ドリンクを飲みながら24時間働き抜くことが憧れでもあった。

つまり、以前のビジネスマンやサラリーマンは、現在よりも過酷な労働環境に置かれていることが少なくなかったのだ。しかしそれでいて、ブラックなどといった言葉は耳にすることがなかったし、皆率先してそんな戦いに挑もうとしたりもしていた。さて、これはなぜだと思われるだろうか。

「それって昔のサラリーマンの方が強かったとでも言いたいわけ?」

いやいや。忍耐力からいえば、むしろ現代の若者の方が強い。当時のサラリーマンは、勤め先が理不尽な条件を強いたなら、さっさとその会社を辞めてしまうはずだからだ。

ではなぜ、かつてのサラリーマンは24時間働いてもOKで、現在のサラリーマンは、自らの労働環境をブラックと呼ぶのだろうか。実はこれ、当時と現在において社会構造や就労環境に大きな変化が生じていることに起因している。

■当時のサラリーマンが24時間働こうとした理由

実はバブル崩壊以前のサラリーマンと、現在のサラリーマンにはいくつかの大きな相違点がある。

まずは終身雇用制度の有無である。当時のサラリーマンは、現在のそれ以上に守られていた。このため、自分を守る会社の行く末は、そのまま自分の人生の安定に直結したのだ。よって、残業代の有無よりも、むしろ会社を盛り上げておく必要があった。たとえ残業代を削られたとしても、それは会社の利益に直結する。会社に利益をもたらせば、自分の人生も安定することになるといった明確なリターンがそこにはあったのだ。

また、職種によっては自分の働きが、残業代ではなく基本給や賞与の大幅アップ、さらにはインセンティブのアップなどといった報酬に直結する場合も少なくなかった。

大卒で大手企業に勤めた人間は、皆こぞって管理職を目指したし、部長を経て役員に昇格すれば、定年時に子会社の社長としてのポストが与えられたりもした。高卒では当時でもそんなコースは難しかったが、実力がある人間は、中小企業に就職してその企業の拡大を図ることで、のし上がるチャンスもなくはなかったし、実力を買われて上場企業へ転職なんて話もあった。

つまり、当時のサラリーマンには、頑張るだけの何らかの見返りがあったのだ。よって、仮になんら見返りがない仕事であれば、彼らは躊躇なくその会社を辞めることができた。

非正規雇用の職種はごく一部に限られており、働くということはイコール正社員という時代だ。会社を辞めたら非正規労働者に落ちるというリスクはない。再就職は難しくなかったし、実力さえあれば、転職を繰り返す度に年収を上げていくという芸当さえできた時代だったのだ。

■現在のブラック企業がブラックたる所以

さて、これに対して現在のサラリーマンはどうだろうか。サラリーマンという括りのなかでも、正社員と非正規社員の存在がある。

正社員はとりあえずまだある程度守られた地位にあるといえるが、それでも年々その地位は脆弱なものとなりつつある。昇給率も雀の涙程度に限られ、ボーナスも決して多くはない。それでいて重い責任だけを押し付けられたり、長時間労働を強いられたりする。

たとえ過酷な条件で働いたとしても「会社も苦しいから」と、大した見返りはない。「こんな会社、辞めてやる!」と啖呵を切れればどれほど気持ちが良いだろうと思いながらもそれはできない。

つまり、頑張ったとしてもそれに対する見返りがない。飴と鞭がセットなら耐えられるが、日々鞭だけうけるのなら、そんな理不尽な話はない。ブラックという言葉は不条理な日々の中でごく自然に生まれては浸透した言葉なのだ。

■ブラックから転がり落ちたその先には

さて、それでもそんな日々に耐え切れずに、正社員をやめてしまうと、そこにはさらなる魔物が口を開けて待っている。非正規雇用というブラックである。

非正規雇用の場合、雇用は3か月から半年など短期間に限られる。また、現在では労働派遣法が改正されていることから、同じ職場で3年を超えて働くことができない。3年以上雇用した場合、企業では雇用期間を無期にするなどの措置を労働者に与えなければならないが、企業が簡単にそれを受け入れるはずもなく、よってそれ以前に雇止めを行う。つまり、首を切られることになる。

非正規雇用の場合には、昇給もほとんどなく、ボーナスや退職金もない。たとえあっても、お小遣い程度であり生活の足しにはならない。非正規労働者の給与は、職種によっても異なるが、年収ベースでおよそ250万円程度と低水準である。これでは、家族を持って子供を育てることができない。つまり、一生懸命真面目に働いても、生活は豊かにならないばかりか、結婚さえもできない。こんな労働条件は、まさにブラックというのに相応しい。そして、このような労働条件の提示が合法であること自体、大きな問題なのだ。

■ブラック企業が日本経済にもたらす影響

ブラック企業の蔓延は、資本家サイドの利益拡大を後押しした。実際、現在の企業は莫大な額の内部留保を積み上げるまでになった。資本家サイドからすれば、満足のいく結果であったことだろう。しかしこれは一時的なメリットしか資本家サイドにもたらさない。

というのも、現在のサラリーマンの多くは、望んで仕事をしていない。24時間働こうとはしていない。なぜならそこには何の見返りもないからだ。この労働者の意識低下は、徐々にではあるものの、必ず企業運営の劣化や製品品質の低下をもたらすことになる。

率先して戦おうという戦士が存在しないのだから、運営は自ずと守りに終始するようになる。自分の地位のみを大切に考え、企業の売上は二の次である。必要であれば粉飾を行ったり、情報を改ざんすることでその場をしのぐ場合もあることだろう。

結果として、グローバル化はしたものの、後発組の途上国にサクッと市場を取られて衰退したりといったことも生じているのだ。

■賢い経営者は企業ホワイト化のメリットに気づいている

これまでの流れは、日本人としてとても悲しいものだが、実は一筋の光が差し込んでいるのもまた事実ではある。それは、企業のホワイト化に気づきはじめている経営者が、わずかだが出始めていいることである。

企業の目的とは、利益を追求することであり、株主にその一部を還元することにある。これは資本主義の原則なのでこの部分は追求している。しかしそのプロセスが根本的にブラック企業とは異なる。

ホワイト企業は、企業内で働く労働者を大切にする。労働環境や待遇に問題があれば役員の給与を削ってでも改善しようとする。つまりしっかりとした見返りを労働者に与えようとする。

すると、社内の雰囲気が明らかに変わる。社員の意識や仕事の捉え方に変化をもたらし、企業を、そして自分の扱う製品やサービスを大切にしようとする。自らも昇給に見合う利益を会社にもたらそうと考え、作業の効率化を図ろうとする。経営陣は、社員の前向きな努力に対して、共に汗をかきそれをまとめ上げて運営の稼働力に転嫁しようとする。

生産性と製品品質がともに大幅に向上し、結果として利益率は上向くことになる。企業は利益の一部を労働者に還元する。企業は安定を取り戻すだけでなく、拡大方向へとシフトしていく。社員は自らの会社をさらに盛り上げようと頑張ることになり、上昇スパイラルが形成されることになる。

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■24時間働いてなおほほえむ戦士

さて、いかがだっただろうか。もし仮に、あなたがブラック企業にどっぷりとつかっているのであれば、高い意識を持った企業を訪ねてみるのも良いかもしれない。ホワイト企業で汗を流すだけの価値は十分にあるはずである。そんな企業においては、仮に労働が過酷であったとしても、ブラックなどといった言葉は使われることはない。

なお、先のCMソングには、次の一節もある。

 

瞳の炎は勝利のしるし
朝焼け空にほほえみますか

 

徹夜明けに微笑むことができるのなら、それはまさにホワイト企業の証といえることだろう。つまり、ブラックかホワイトかの相違は、単に労働環境で判断できるものない。その労働によって何を得られるか、もしくは何も得られないかの相違だといえる。

また、労働に得られるものとは、お金とは限らない。生き甲斐であったり安定であったり、家族の笑顔だったり。何らかの納得のできるリターンが得られるのなら、それはきっとブラックではない。戦士は24時間働いてなお、ほほえむことができるはずなのだ。

 




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