50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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暇とのんびりは似て非なりなのでご注意を


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私は動画やブログの各所で「のんびりしましょうよ」と申し上げることが多い。
すると「私はずっとのんびりしているが毎日が暇で全然楽しくない」というご意見を頂戴することがある。

これ、とらえどころが難しいわけだが、暇とのんびりは似て非なりなので注意が必要となる。というのも、これを混同してしまうと、人生なかなか楽しむことができないからだ。また、そもそも暇のとらえかたが間違っていたりもする。

■暇とは何か

そもそも暇とはなんだろうか。

暇とは、すべきことが完了し、次に取り掛かるまでのいっときの時間や状態を言う。
「あー暇だぁ」という言葉を耳にすることがあるが、これ、随分と働き者の方なんだなぁと思ってしまう。

というのも、言葉の意味をそのままに捉えれば、すべきこととすべきことのほんの合間の時間さえも不快に感じていらっしゃることになり、この方はずっと働き続けていたいと考えられていらっしゃるはずだからだ。

また「毎日が暇で」という使い方は、正確にはありえない。仕事の合間のひとときが暇なのだから、何もない日々に暇はありえないわけである。そう、暇な時間とは、その前後において忙しい時間やすべきことが存在しなければ成立しないのだ。

■のんびりとは何か

一方、のんびりとはなんだろうか。のんりびとは、緊張がほぐれている状態をいい、心身ともに楽である様をいう。のんびりとは、暇とは異なり時間的な付帯条件はない。

ところが毎日のんびりというのは、なかなかありえない話でもあることに気づかれるだろうか。緊張がほぐれている状態がずっと維持できるのであれば、それはそれで楽そうである。人生ずっと心身ともに楽であるのなら、それはベストな生き方であるかのようにも思える。ところがこれ、なかなか難しい。

これについては、緊張がほぐれた状態が、果てしなく続くことをイメージしていただければご理解いただけるはずである。いっときののんびりはとても価値のあるものである。ところがこれが日常となってしまうと、おおよその方がそれに不快を感じてしまうことになる。

実は、老後において、方向性を失ってしまわれる方の多くが、この「のんびり」を押し通そうとされていることが多い。

■暇な時間をのんびり過ごすは正解

これまでのお話を踏まえて頂いた上で、暇とのんびりを組み合わせた時間の使い方についてお話を進めていこうと思う。

これ、正解は「暇な時間をのんびり過ごす」である。実はこれが最も自然であり、価値ある時間の過ごし方になる。

簡単に復習をすると、暇とはすべきことが完了し、次に取り掛かるまでのいっときの時間や状態だった。この時間の中で、のんびり、つまりは緊張をほぐし心身ともに楽な状態で過ごすとなれば、この時間はとても意味があるとは思われないだろうか。

「いやいや、オレは何もせずに生涯ずーっとのんびり過ごしたいよ」

と思われた方もいらっしゃるかもしれない。しかしそう思われた方は、現役世代の方々であり、毎日が日曜日ではないはずである。

私は過去に取材目的でニートの人々を追いかけたことがある。時間はたっぷりとあり、とりあえず何もせずに生きていくことができる環境がある。ところが、彼らの多くは、ご自身の日々を「幸せ」とは捉えていなかった。そこには実は、暇はなくよってのんびりも存在しないからである。

■暇な時間をのんびり過ごすために

さて、では暇な時間をのんびり過ごすためには、どのような生き方をすれば良いだろうか。これについては、何らかの適度な義務を日々の中に組み込むことである。

「そうはいってもオレには仕事があるし」

仕事を持たれている方は、あえて組み込む必要はない。仕事を持たれている人には暇は必ず存在する。よって暇な時間をのんびり過ごすことは可能であるはずだ。たまの休みの日の快感は、あえて説明するまでもないはずである。

暇な時間をのんびり過ごすための配慮を努めて行わなければならないのは、定年後の方々である。方向性を失い、ご自分の日々をつまらないものと捉えていらっしゃる方々が目立つ。

このような方々は、日々の中に何らかの義務を組み込むと良い。年金の他に収入を得る必要があるのであれば、適度にアルバイトをされるのが良いだろう。また、その必要がないのであれば、ボランティアや学びの時間を組み込んでもよいかもしれな。

「老後にまで義務を持つのもどうなんだろう」と思われるかもしれない。しかしもし、毎日がつまらないと感じられていらっしゃるのであれば、騙されたと思ってぜひお試しいただきたい。

日々の生活の中に適度な義務があると、それによってはじめて暇が生じることになる。
そしてこの暇は、のんびりと過ごすことができる時間でもある。つまり、暇な時間をのんびり過ごすことが可能となり、この時間も、そして義務の時間さえも輝くことになるわけである。


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