50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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55歳ブログの管理人が実は59歳だったという件について


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「え?それマジかよ!」
と、最近では驚いていただけないかもしれないが、ちょっと煽りの効いたタイトルをつけてみたりした。しかしこれ、実は以前もやっていたりして成長がない男である。

本ブログのURLは、55-years-old-blogから始まることから、管理人が55歳という認識を持たれていた方もいらっしゃるかもしれない。しかし実は、私は59歳である。

「4歳もサバを読んでいたわけか!」

いやいや、そういうことではい。本ブログを開設した時点において55歳だったということであり、それから早くも4年が経過してしまったというだけである。

しかし年月の経過は本当に早い。この間、私はいったい何をやっていたんだろうと凹む。いやいや、凹んでばかりもいられない。60歳まですでに1年を切っているのだ。

■現在考えている60歳以降の生き方

60歳といえば、真っ当に働いてこられたサラリーマンであれば、定年を迎える年齢である。まあ、最近では65歳定年にシフトしている企業もあるし、60歳定年でも継続して嘱託による再雇用をしている企業もあることから、多くの方が隠居を決め込むわけではないだろうが、それでも人生の節目の年齢であることは確かだ。

そんな私は60歳以降の生き方について、5年ほど前から決めていることがある。

それは、嫌なことは一切やらずに生きるということである。でもまあこれ、働かずに生きるということではない。もともと年金の受給はまだ先だし、受給したとしても生活を維持できる額ではなさそうなので働き続ける必要がある。

しかし、自分がしたくないような仕事は一切しないつもりであり、生きる時間を無駄に消費するような過ごし方はしない。自分がしたいことを仕事として生きるつもりであり、1日24時間のすべては好きなことで満たされなければならない。

よって仕事はしたい時にして、旅に出たくなったら旅である。しばらくは海外での生活も楽しみたいと考えている。

「ジジイに片足突っ込んだ状態で、なにガキみたいなこといってんだよ」

と怒られそうだが、これを実現するために、ここ数年複数の計画を実行に移してきている。まあ、成果はさほど出ていないわけだが。なはは。

■したくないことはしないルール

「したくないことはしない」と勝手に決めることは誰にでもできるわけだが、現代社会において、これを具現化することは意外に難しいものである。

生きるためには働かなければならないので、働きに出ることになる。たまたたその仕事が自分にとってとても面白かったり生きがいを感じることができればラッキーだが、シニア層においては、そうそうそんな仕事に就くことは難しいことだろう。

つまり「したくないことはしない」と決定した時点において、勤めるという選択肢はなくなる。いや、あらかじめ仕事を厳選し、自分がやってみたいと思える仕事に就くことはありかもしれない。しかしその選択肢も、かなり絞られることになるはずである。

で、勤める選択肢がないのであれば、仕事は自分で作り出すしかない。ということで、複数の仕事を作るためにここ数年、時間を費やしてきた。まあ、その多くは構想とはまったく異なる方向へそれてしまったり、失敗に終わることになるわけだが、それはそれで楽しめてはいる。

また、したいことであったとしても、収益を得るための仕事については1日4時間程度との制約をかけたいと考えている。ただしこの切り分けは難しい。私の場合、興味があることはとことん探求したくなるので、それが仕事となれば眠る時間をも惜しむかもしれない。でもまあ、したいことであれば、それはそれだろうか。

■自分の人生を自分でマネジメントする必要性

暇に任せてネットを見ていると「老後の資金は最低3000万円必要」とか「人生は甘くないものだ」とか「お金を得るための仕事は大変で当り前」といったさまざまな言葉が目につく。

これらは自分に関連することだから目につくわけだが「なるほどね」と思う半面で「なんでそんなに型にハマった人生を送りたいのかなぁ」とも思えてくる。

自分の人生は、自分でマネジメントするしかなく、よって自分次第でどのようにでも変えていくことができる。カネが欲しいのであれば、カネを稼ぐためにはどうすれば良いのかを試行錯誤しながらその方向へと軌道修正をすればよい。働きたくないのであれば仕事を最小限にとどめるためにはどうすれば良いのかを考え抜いていけば良い。人生をうまく生き抜いていくことができないと思うのであれば、うまく生き抜くための自分なりの方法を追求することもできる。

問題は、それが嫌なのにその状況に甘んじていることだ。そしてそれは、一般論をベースに判断を下すことにより生じているように思う。つまり、皆が進むべき道を正しいものとしてとらえている。

個々の個性は千差万別であり、一般的に生きることが得意な人もいれば、まったく不得手な人もいる。得意な人はそれで良い。しかし、不得手な人が無理をして一般論に振り回されてどうするのだろう。

一般的な道を進むことが不得手であったとしても、自分なりに生きやすい道はいくらでもあるし、得意な生き方もきっとあることだろう。ところが一般論を重視してしまうと、そんな道が見えなくなる。これについては、とてももったいないことだと思う。

■60歳の生き方ブログをそのうち立ち上げます

60歳のことだからまだ少し先になるが、60代の生き方についてのブログについても今後は立ち上げていくつもりでいる。当然本ブログでご報告させていただくことにしたい。

一方、本ブログも60歳以降続けていくつもりだ。というのも、毎年50代となられる方はいらっしゃるわけであり、シニアやミドルになられて頭を抱えてしまう方も少なくないからである。

よって数年後には「55歳ブログの管理人が実は64歳だったという件について」といったタイトルの記事を書くことになるはずである。いやはや成長のないミドル、いやいや、シニアである。


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