50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ


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■安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ

ガジェットには目がないという方々に多く見られる傾向に「安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ」といったものがある。ご多分にもれず俺もまたこの一派に属している。まあ、カネがないという理由も大きいわけだが、かつて真面目に働き、人よりも多くの所得を得ていた際にも、この傾向にブレがなかったので、実際に俺はそんなタイプであるようだ。

「安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ」というと、理解しがたいという方も少なくないと思う。たとえば、ブランド品を追い求める方や、より便利で使いやすいものを求める一般的な消費者であれば、安物はあえて欲しくはないし、不便なものなど以ての外ということになる。カネがなくて仕方なく安物を使うことになった場合でも、それをあえて人に伝えることは避けたいと考えることだろう。

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■一般的な消費者とは異なる思考パターン

ところが、本質的に「安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ」といったタイプの場合、いかに安いもの、もしくはいかに安く購入したかということに、強い魅力を感じる。また、それを人に自慢したくなるので、基本的に思考パターンが一般的な消費者とは異なるといえるかもしれない。

高いブランド品を購入し、それを用いることで悦に浸るというのが多数派なのかもしれないが、それにはまったく盛り上がらないのだから致し方ない。その一方で、格安製品を手にすると、俄然元気が出てくる。また、その製品に問題があった場合、それを自力で克服することに喜びを感じたりするわけである。

「それってやっぱり、単に貧乏なだけなんじゃないの?」と思われるだろうか。貧乏であるのは周知の事実なので反論はできないが、たとえば昨年、たまたまWindowsタブレットを手にすることになった。わりとメジャーな製品であり、性能もそこそこ。たまたま格安で手にすることになった新品で申し分ないのだが、これがちょっと盛り上がれない。そつなく使いこなすことができる優等生なのだが、それだけに面白みに欠けるのだ。

■時間的コストがコストにならない理由

一方でジャンクで購入したノートPCに、同様にジャンクのメモリや余っていたハードディスクを組み込み、なんとか稼働させたうえでLinuxなどの無料のディストリビューションをインストール、多くの不具合をあれこれと克服したりすると、かなり愛着が湧いてくるといった具合である。

実際、今自室でこの文章を入力しているノートPCは、もともとメモリもハードディスクもなかった10年程前のジャンク品で2000円程度だ。たまたまあったメモリを1GB搭載し、ハードディスクは35GB、もともとWindowsXPが乗っていたであろうこのPCは、現在はLinuxのantiXが軽快に動作していて、利用頻度はメインPCに迫る勢いだ。

「修理にかけた時間的コストを考えれば、新品のPCを購入したほうが、むしろ安いんじゃないの?」と息子がいう。いやいやジュニアよ。修理にかけた時間は、俺にとってはコストではないのだ。それにだ。

「四半世紀前のUNIXワークステーションを遥かに凌ぐ性能を持つこのPC、たった2000円だぜ?すごくないか?」と、言ってみたところでi5搭載のノートPCに不満を持っている彼には、到底理解することはできないはずである。

■手にできる環境を有効活用することで得られる豊かさ

非正規労働者の増加や、所得格差の拡大など、混沌とした状況が続く現在ではあるが、よくよく考えてみると、私達はお金を掛けずしても、豊かに生活をすることができる環境にあることに気づく。2000円のノートPC以外にも、たとえばネット接続にかかる通信費なども、200kbpsの遅さを覚悟すれば、月300円で常時接続環境を得ることができる。携帯電話にしても、IP電話サービスを用いれば、数百円で番号を維持することができることだろう。

生きていくうえで不可欠となる食材の調達も、現在ではちょっと考えればいくらでも安く購入することができる。というよりもその日安い食材を食していけば、それだけでも十分に満足な食生活を実現することができる。コンビニで弁当一つ購入するコストで、家族が腹一杯に食べることさえできるのだ。

住居についても同様のことがいえる。地方で借家を借りれば、いくらでも家賃を安く抑えることができる。廃屋をタダ同然で借りて、豊かに生活をする人も目立つようになった。今後、さらに人口が減少するにもかかわらず、供給側の利益追求を目的として乱立するマンションは、今後、格安で購入したり借りたりすることができるようになるはずである。

「田舎になんか住んだら不便じゃないの?」と思われるだろうか。俺は東京で生まれ育ち、現在は地方都市で暮らしているが、日々の生活を不便に感じることはないし、逆に自然が近いこの地を離れる気にはなれない。

地方といっても数千台収容できる駐車場のあるモールが近くにあるし(あまり行かないけど)、のんびりできるスーパー銭湯がいくつもある。近場で手に入らないものは、ネットでオーダーすれば、翌日には手にすることができることだろう。ちなみに最近は100円の古本を送料無料でまとめ買いして楽しんだりしている。

「でも地方だと仕事が・・・」と思われるだろうか。確かに地方都市に仕事は少ない。しかしこれは雇用される側に立てばの話だ。現在では、場所に依存しない小さなビジネスモデルを展開することは容易である。たとえば、ネットでオーダーを受けたりサービスを提供することができる。商品の場合は、宅配便を使えば全国、もしくは全世界へと格安で送り届けることもできる。実際、ネットで商品を購入する際、販売元が日本のどこにあるのかを知らないままといった経験をお持ちではないだろうか。

また、観光地化していていない生の自然に接するのに、お金はかからない。おにぎりやサンドイッチを作って近くの公園へ出かければ、美しい山並みや広がる海をみながらのランチを楽しむことができる。家族でのんびりしても、かかるコストは食材の500円程度であるはずである。つまり、豊かに生活するのに、さしたるお金は必要ないわけだ。

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■貧乏ながら気楽な人生もまた楽し

さて、無駄なお金を使うことなく、豊かに生活できるようになると、どのようなメリットを享受することができるだろうか。これについては、人それぞでであるはずである。毎月多くのお金を貯蓄として積み上げることで、将来の安定を自ら構築しようとする人がいる。その一方で、最小限度の収入に抑える一方で、自由な時間を確保しようとすることもできることだろう。

格差社会の拡大や不透明性の高い現在ではある。このような社会の中で負組に属しつつ、勝組の生活を追い求めるのであれば、それは地獄を見ることにもなりかねない。しかしながら、手にすることができる環境をしっかりと見据え、その環境を最大限に活用するならば、案外容易に、豊かな生活を手にすることはできるものである。そしてそれは意識を少し変えるだけで良い。「安いものに惹かれ不便なものに魅力を感じ」は、その一例となる。

貧乏ながら気楽な人生もまた、案外楽しいものなのだ。

 


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