50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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「生活保護舐めんな」ジャンパーにみる自治体の腐敗度合い


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■生活保護舐めんなジャンパーってなんだ?

「生活保護舐めんなジャンパーってなんだ?」と俺は思った。この手のジャンパーの存在を、俺はネットの記事で初めて目にしたからだ。これを市の生活保護担当職員が着て職務にあたっていたという事実が発覚したという。

しかし、税金で生活をしている、つまり市民に雇われている職員がこれを着ることで、生活保護を必要としている人々に対して、無言の威圧を与えていることが横行していたとするならば、これは問題である。

生活保護は日本国民が受けることができる権利であり、生活保護を受けているからと言って、何ら惨めな思いをする必要はないからだ。

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■生活保護の支給を厳しくする誤り

「生活保護費は税金なのだから厳選するのは当然だろう」
とそう考えられる方は少なくないはずである。しかし本当に厳選しているのであれば、生活に困窮しているご老人の餓死者やシングルマザーの自殺者は出ない。また、元気でしっかりと働ける若者や、勤労意欲のない在日外国人の受給者は皆無となるはずである。

生活保護を厳しく取り締まることは誤りだ。厳しくしてしまえば本当に生活保護を必要とする弱者が受給できなくなってしまうからだ。最低限であっても、文化的な生活を保証された日本国民が、その権利を行使できなくなってしまうだろう。厳しく取り締まってはならない。ましてやジャンパーで無言の威圧、いや威圧を超えた屈辱など、正気の沙汰ではない。

生活保護は、厳しく取り締まるのではなく、より開かれたものでなければならない。しかしその一方で、正しく審査する必要がある。ところが、正しく審査するには、それなりの労力が必要となる。そこでこの労力を軽減するための、つまりは職員が楽をするための方法が考えだされることになった。そしてその結果が生活保護舐めんなジャンパーというわけか。

自分が楽になれさえすれば、本当に生活に困窮する人々をいくら侮辱しても気にならないといった風潮が職場内に広がっていたのであれば、これは怒りを超えて恐怖すら覚える。これらの職員には、家族も子供もいることだろう。いったい子どもたちにどのような教育を施すのだろうか。格差を助長する教育をされてはいないかと、とても不安である。腐敗はすでにここまで悪化しているのかと思うと、同じ日本人として恥ずかしい。

■生活保護制度を国民が疎ましく思う理由とその是正策

なお、職員の振る舞いをここまで悪化させたのには、世論もまた追い風となっている。生活保護に嫌悪する国民が増大するのには、それなりの理由がある。

まずは生活保護費を下回るワーキングプアの存在である。日々必死に働きながら、生活保護費に届かない人々からするならば、働かずして生きている人々を疎ましく思うのは当然と言える。

最近ではこれらを理由として、生活保護費を切り下げたり、チケットなどによって支給する案も浮上してきているようだが、これもまた誤った方向と言える。さらには、すでに生活保護費に対しての使い方についてを条例に盛り込む地方自治体もあったりで、いったい大学においてどのような教育を受け何を考えてきたのか理解に苦しむ。

何度もいうようだが、日本国民は文化的な生活を送る権利を有している。生活保護費を切り下げたり、現金以外で支給したり、さらには使い道を定められた弱者が、最低限でも文化的な生活を維持できるはずがない。

仮に、生活保護費を下回るワーキングプアの存在があるのなら、生活保護費を切り下げるのではなく、最低賃金のレートをそれ以上に引き上げる政策が必要となる。問題は、生活保護費の水準にあるのではなく、むしろ労働賃金の低さにあるのだ。実際、先進国において日本の賃金水準は最下層に位置する。また、その跳ね返りとして得た利益は、内部留保としてタックスヘイブンに積み上がる。むしろこの部分に抜本的な改革が必要なのだ。

本来働くことができる人間が生活保護を受けるのも問題である。高齢者やシングルマザー、何らかの疾患を有する人々の場合、手厚く保護されるべき生活保護だが、単に労働意欲のない健康な人々に支給されるのは問題だ。

自分が必死に働き収めた税金によって、単に働く意欲のない人間の生活を支えるのであれば、不満が出るのは当然とも言える。

最近では、生活保護受給者に対する就労支援策を打ち出す自治体も増えているようだが、最低限の生活を保証しながらも、しっかりと仕事を支援するための新たな取り組みが不可欠だ。たとえば民間企業への斡旋とは別に、自治体自体が予算を確保し、公共事業における労働を創出、その仕事をダイレクトに斡旋することも考えていくべきである。

■生活保護制度縮小や廃止に潜む大きなリスク

「生活保護制度なんて、むしろ廃止したほうがいいんじゃね?」
と、このように思われている方も少なくないはずである。しかし本当に廃止して良いのかと、逆に問いたい。

現在は仕事もあり、安定した生活をされている方の中にも、突然職を失ったり、働くことができなくなる人は必ず存在する。多くの方は自分とは別の世界だと認識している。ところが、生活保護を受けるようになった人の大多数は、かつて自ら生活保護者になることなど、まったく想定していないのだ。

今後、年金の支給年齢がさらに上昇する可能性が高い。75歳からの支給となれば、それまでは働いて生きていく必要がある。ところが60歳を超えた頃から、体の各所に加齢を起因とした疾患や問題が発生する。そしてこれは、予防はできても回避できるものではない。また、60歳を超えると、まともな仕事には、まずありつくことはできない。これまでオフィスワークしか経験のない高齢者の方に、40フィートコンテナの荷下ろしができるとはとても思えない。

非正規労働者が労働者の4割を超え、退職金もボーナスもなく、厚生年金も未加入の人々が増加傾向にある。これといった資産も預金もない。しかも年金の支給年齢までの10年以上を生きぬかなければならなくなる。これらに該当する人々の多くも、現在において生活保護制度と自分をまったく関係のないものと考え、そして生活保護制度などなくなれば良いと考えている。しかし、本当に大丈夫だろうか。動けなくなっても老後を自力で生き抜いていく蓄えや自信はお有りだろうか。

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■国にとって不可欠なセイフティネット

国にとって、セイフティネットは不可欠なものである。これは国民、なかでも弱者を守るために存在すると言って良い。また、セイフティネットは、開かれたものでなければならない。開かれたものでなければ、真の弱者を救うことはできないからだ。そして同時に、生活保護は正しく支給されるべきものであり、なおかつ最低限度でも、文化的な生活が担保されるものでなければならないのだ。

「生活保護舐めんな」ジャンパーは、むしろ市民が着るべきものなのかもしれない。自治体は、この問題をさらに重く受け止める義務があると考えるがいかがだろうか。

 


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