50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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週に3日だけ働いて4日遊んで暮らす生活


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「週に3日だけ働いて4日遊んで暮らす生活」と耳にされたなら、あなたはどのように感じられるだろうか。仮に仕事に生き甲斐を感じることができている方であれば「そんな怠惰な生活に何の意味がある?」と思われるかもしれない。一方で、日々の過酷な労働を好ましく思われていない方であれば、「そんな生活ができれば極楽だろうな」と思われるかもしれない。

人生はそれぞれだから、感じ方も様々であって良い。しかし現在の日本の労働者の状況を見渡してみると、「週に3日だけ働いて4日遊んで暮らす生活」に憧れを感じる人の方が多いように思う。というのも、生活を維持するために、必死に働き続けている方の方が圧倒的に多いからである。

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■豊かさの捉え方を誤ることで被る苦痛

資本主義社会に生きていると、金銭的に豊かになることが美徳であるかのような情報を受け続けることになる。一生懸命働き、それによって得たお金で家を買い、車を買い、多くの家電製品や小物類を購入する。また、食べたいモノを食べ、酒におぼれ、ギャンブルに浸ったりもする。するとお金が足りなくなるので、明日も一生懸命働く。

また、資本主義社会には便利なシステムが存在する。これを使えば現金を持ち合わせていなくても、高価なモノを購入することさえできる。つまり借金である。借金は高い利子を付けての返済義務が生じるが、それでも、欲しいと思うモノをその時に手に入れることが可能となる。実に便利なシステムだが、よって、収入を越える支出を余儀なくされることになり、債務は簡単に多重化していく。

今までお金が足りなかった人々が、新たに返済義務を負うわけだから、困窮生活はさらに深まることになる。働いても働いてもお金は右から左に流れるだけで、自分に残ることはない。日々、朝から晩まで過酷な労働を強いられる。儲かるのは資本家だけであり、多くの労働者は、豊かになるはずだった夢とは裏腹に、日々窮屈な生活を送りながら生涯を終えることになるわけである。

■後輪が地についていない自転車を漕ぐ

私たちの労働は、社会貢献でもある。個々の労働者がいなければ経済は回ることがない。また、労働によって得た所得は、私たちの生活を支えている。資本主義社会においては、お金がなければ生きていくことができない。よって、労働対価として賃金を得る。得たお金を消費することで生活を維持する。

さて、この流れは一見マトモなように思える。実際、資本主義社会はそんなお金の循環によって成り立っている。では、あなたの生活が豊かにならないのはなぜだろうか。勤勉な国民が、戦後70年以上、必死に働き続けているのに、個々の人々がゆとりを持って生活をできないのはなぜだろうか。日々の過酷な労働を続けているのに、生活が困窮するのはなぜだろうか。ちょっとおかしいとは思われないだろうか。

これについては、資本家側の立場に立つことで、実は容易に答を得ることができる。

資本主義の繁栄には、資本循環が不可欠であることから、如何に多くのお金を循環させるかに掛かっている。よって、新たなニーズを開発したり、それまでの製品やサービスに新たな付加価値を乗せることで、消費をあおる必要がある。つまり、労働者に対して、より多くの労働を強いるとともに、より多く消費させることにより、資本家は利益を積み上げることができる。逆にいえば、労働者は、労働と消費の双方において資本家の利益を支えている。

たとえるなら、資本家は自転車を購入し、あなたに漕ぐように指示する。あとは如何に勢いよくこがせるかが利回りを左右することになる。ただしこの自転車は、後輪が地についていない。いくら漕いだとしても、パラダイスには行き着かないというわけである。

■週に3日だけ働いて4日遊んで暮らす生活は可能か

さて、前振りが長くなった。今回は「週に3日だけ働いて4日遊んで暮らす生活」がテーマである。これを実現するのは、実はさほど難しくはないし、怠惰なことでもない。

方法は、先の後輪が地についていない自転車には乗らないことである。つまり、資本家が提供する利便性や付加価値には、必要な時以外、近寄らないことである。先の自転車に乗らなければ、漕ぐことを強要されることはない。前に進みたければ、自分の足でゆっくりと歩を重ねればよい。つまり、多大な労働と多大な消費を繰り返すことになるモデルには近寄らないことであり、収入を越える消費をしないことであり、そして、何よりも債務を負わないことである。

すると、週に3日も働けば、十分に生活をすることができる。あとの4日は自由なことに人生を使うことができるわけである。

「そんな怠惰な生活では、豊かになれないだろう」と、そう思われた方は、今現在、自転車を漕いでいる。また、勢いよく漕いでいる人は、すでに降りることさえできないかもしれない。

資本主義とは、ひととき、人々の生活を豊かにするものである。ところが、資本家は多くの資本を抱えようと動き始めるため、格差が拡大をする。すると、貧困層の拡大から、次第に消費が減少し始める。そして最後には、資本家自体も利益を上げることができなくなる。

仮に現在の経済状況が、そんな方向へ向かっているのであれば、あえて自転車に乗らない選択肢もありかもしれない。モノに溢れた生活はできないかもしれない。しかしその代わりに、自由に溢れた人生を送ることができるかもしれないからである。

 


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