【第1話】富める者はますます富み貧しいものはますます貧しくなる
■資本主義社会は崩壊へと向かうか
「富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる」と、そんな一節が聖書には記されているのだそうだ。
まだネットの存在がなかったころ、突然泊まることになったホテルの一室で、時間つぶしに目を通した程度の経験しかないが、聖書はまさに現在の資本主義社会を言い当てている。
また、同様の事を1800年代にしっかりと言い当てた人間がいる。カール・ハインリヒ・マルクスだ。
マルクスは資本論の中で、資本主義社会を次のように述べている。資本主義とは、資本家が生産手段を占有するとともに、労働者を用いて利潤を生みだす。このことにより生産力を急激に発展させることに成功する。しかしその一方で、労働者への分配が不十分となることから、過少消費と過剰資本、過剰人口などの内的矛盾を抱えることになる。
いかがだろうか。「世紀末のノストラダムスじゃあるまいし」的に、現在を言い当てているとは思われないだろうか。また、彼はその後の動向についても言及している。今後の世界、どうなると思われるだろうか。
高度な発展を遂げた資本主義は、いずれ自らの持つ矛盾を解消することができず、内部崩壊を迎える。そしてその先に共産主義社会が到来するという。
と、こんなことを書くと、危ない思想家なんじゃないかと思われるかもしれない。しかし、気楽に自由に生きる人生を追求している自分が、情報統制が不可欠で窮屈な共産圏で生きたくはないし、そもそもそんな世界の到来を望んではいない。やはり自由主義が良いし、資本主義の中で生きていたいと考えている。
■資本主義社会の存続策とは
では、資本主義社会を延命もしくは存続させる方法はないだろうか。マルクスはこの点についても触れている。それは、大恐慌や戦争である。
大恐慌や戦争が起きると、巨万の富を得た者や企業の多くが、その資産を吐き出すことになる。また、吐き出さずしても通貨が価値を成さなくなるリスクも多い。
これは、マラソンで考えればわかりやすい。当初は同じスタートラインで同時刻にスタートする。しかし、長い時間走っていれば、速い走者と遅い走者には大差がつき始める。そしてその格差が縮まることはない。走れば走るほど格差は広がっていくわけだ。
ところが大恐慌や戦争は、このゲームをなかったことにできる。つまり、再びスタートラインに並ぶことができるわけだ。
日本におけるスタートラインとは、第二次世界大戦終戦日であったと思う。終戦日において、国民の多くは何も持たず、バラックの生活を余儀なくされた。そして、誰もが平等に貧しい状況は、経済発展に恰好の条件となる。
日本人はもともと勤勉な国民であることから、少しでもまともな暮らしを手にするために、必死に働くことになる。そしてその労働力は、経済復興の原動力ともなり得た。働けばそれだけ多くモノを生産することができる。また、その分給与も増えていくことになった。
すると、そこには爆発的な消費が発生する。誰もが何も持っていないのだ。モノは作れば作っただけ売れることになり、これが急速な経済発展を生み出したわけであり、所得倍増計画が具現化される局面でもあった。
実はこの頃が、資本主義社会の最も安定した時期と言える。拡大する消費と需要、これが上昇スパイラルを形成し、その結果として、誰もがある程度の豊かさを得ることができるからだ。
ちなみにこの時期を一億総中流社会と呼んだ。上場企業の社員のみならず、中小零細企業の社員や、工場の工員、商店の店主など、誰もが駅で傘をドライバー代わりにゴルフのスイング練習をしたりするといった幸せな時代だったわけだ。
このように、戦争は資本主義社会の延命策として有効に機能する。しかしそれと同時に、大きな痛みを伴うことも確かでり、できれば二度と経験をしたくないと考える方も少なくないはずである。また、大恐慌とて同様である。
では今後、私たちの生きる資本主義社会を、大恐慌や戦争を回避しつつ、存続させていく方法はないだろうか。実は比較的シンプルな方法がひとつある。次回はそんなお話をさせていただこうと思う。
・・・つづく