50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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最低賃金額の上昇におけるメリットとは何か


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■多少の犠牲は致し方ないと考える人々

先に日本の最低賃金レベルの低さに触れた。そして、現状、低賃金に苦しむ若者は、むしろ日本を脱出した方がいいのではないかという考えも述べた。グローバル化を前面に出して、海外のシステムや税率を積極的に取り入れようとした日本だが、最低賃金については、まったく意識していなかったのか、気づけば日本の最低賃金は、先進国の最低水準レベルとなってしまった。これは、国が底辺のことを全く考えていない証でもある。

この水準に驚くのは、日本国内よりもむしろ海外であるようだ。落ちぶれたとはいえ経済大国の日本において、最低限の生活さえもキープできない賃金水準にあることについて、海外のアナリストは「信じられない」と驚くわけだ。

そんな世界的世論を反映してか、最近、日本でもこの最低賃金を、引き上げていこうという動きが、やっと始動しているようだ。しかし驚くことに、そんな動きが見え始めると、これにケチをつけ始める輩も動き始める。

「最低賃金を引き上げたら、企業の収益性が低下するので、結果として失業率は増えてしまう」とか「さらに格差が広がってしまう」などと、半ば必死に最低賃金の引き上げを阻止しようとしている。

断言できるが、このように言われる方々は、100%低所得者層ではない。自分に関係のない層に動きが生じることで、自分にも何らかの波紋が及ぶリスクを嫌っているわけだ。悲しいことである。

ところで、「多少の犠牲は致し方ないことである」といった言葉を耳にされたことがあるだろうか。よく用いられる言葉である。しかしこの言葉を用いる人間は、決まって犠牲者側の人間ではない。自分の事でないからこそ「致し方ないこと」として処理できるからである。

「実際、底辺層のことなど、自分には関係ないしね」

と、そう思われている方も少なくないはずである。でもこれ、実は直接的に関係のあることであり、もしかしたらあなたの安定土台をも崩しかねない状況を招くかもしれないとしたらいかがだろうか。

低所得者層の苦悩が深くなる度に、低所得者層ではないあなたの財布に複数の手が伸びてきて、あなたのお金を抜き取ることになるとしたらどうだろうか。嫌ではないだろうか。実際にこのような事態は発生し始めている。

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■生活保護受給者増加の悪影響とは

昨今、非正規労働者が急増している。それと同時に、生活保護受給者数も1995年をボトムとして、その後の生活保護受給者数は増加の一途を辿ってきている。現在では、受給者数が210万人を超えるまでに膨らんでいるのだ。

また、非正規労働者の多くは、望むことなくその地位に甘んじている人が多い。できれば正社員として働きたいのに、その道が閉ざされているからだ。真面に働いているのに、暮らしができないとなると、当然の事、労働意欲も消失することだろう。中には、働くことを辞めてしまう人間も出始める。

働かなければ生きていくことができないが、日本国憲法では、日本国民の生存権を保証している。日本人は基本的人権を持つとともに、生きていく権利がある。このため、国は自力で生きることができない国民の面倒を見る責務が生じている。さまざまな要因において、仕事ができなくなった人々については、国が生活保護として面倒を見ることになるわけだが、これに関わる一切の費用は、日本国民の税金によって賄われることになる。

一方企業には、安い賃金体系や下請の低コスト化によって得た膨大な内部留保が存在する。膨大な額が使われることなく積み上げられている。しかし、生きることができない人々の面倒は、企業ではなく国が面倒を見る必要があるわけだ。つまりこれ、あなたが必死に稼いだお金の一部で負担する必要があるわけである。

今後も何の対策も講じなければ、生活保護受給者数はさらに増加することだろう。すると国の財政をさらに圧迫することになる。さまざまな名目で増税をする必要が生じることだろう。つまり、すべてを国民が負担することになるといった負のスパイラルがさらに大きな流れとなる。

よって、全国民のためにも、ワーキングプアや低所得者層の数を減少させる必要があり、そのコストは、国ではなく、ありあまる企業の資金を用いて実行することが望ましい。これであれば、国民がさらなる増税による生活の圧迫を受ける必要がない。そしてこの根幹こそが、最低賃金の引き上げなのだ。いかがだろうか。自分の財布からお金を抜き取られるよりは、得策だとは思われないだろうか。

■最低賃金を上昇させることの本質的な効果

ところがこれに異論を唱える人間も少なくない。最低賃金が上昇することにより、企業の人件費が増大し、収益性が下がることになる。そこで人件費削減のために、雇い入れる人材を削減しようとする。すると現状よりもさらに失業率は増大し、結果として格差社会はさらに広がることになるという論理である。

一見正しいかのようなこの論理、実は本質的な部分が考慮されていない。それは、非正規労働者による労働部分の企業ニーズがなんであるのかという点である。

実は、最低賃金域における非正規労働者の業務は、「徹底した効率化」などという机上理論では解決しえない部分であることが少なくない。多くの人間を投入するしかない単純労働部分が主であり、今更効率化を図れる領域にはないのだ。よって、人件費が上昇したからと言って人員を削減することはできない。

すると、当然の事一時期企業の収益率は低下する。しかし現在、非正規労働者を用いる企業の多くは、実はしっかりとした収益を上げている企業や、工場用地や倉庫施設などの含み資産を持つ企業が多い。そしてこれらの企業には、膨大な額の内部留保が存在する。つまり経営余力は十分に存在し、耐えうるだけの力がある。

一方、企業には恩恵ももたらされることになる。低所得者の収入が上昇すると、これまで使われることがなかった内部留保などのお金が市場に流れ込むことになる。そしてそれは敏感に消費動向に影響を及ぼす。

これまで真っ当な生活ができなかった低所得者が、人並みに生活ができたり、家庭を持つことができるようになると、稼いだお金の多くはそのまま消費へと回ることになるからだ。すると市場が活性化するので、企業の収益は徐々に上昇傾向へとシフトすることになる。

資本主義社会における市場の繁栄とは、血液たるお金の循環に他ならない。しかし現在は企業の多くが、自らはお金の流れを止めつつも、なんとか市場からお金を吸い上げようと躍起になっている。また、同様の動きを政府が行っている。本来であれば、公共事業投資などを拡大し、市場にお金を流さなければならないのに、緊縮財政と言いつつ、税で得たお金をうまく循環させようとは考えていない。

市場を資金が円滑に循環しなければ、市場が活性化するはずがない。こんな状況では消費も伸びず、商品の価格も上昇することはない。よってデフレからの脱却は極めて難しい状況が続く。

しかし最低賃金を引き上げれば、低所得者は、最低限でも人並みな生活をするために消費を拡大させる。贅沢などは決してできないが、それでも子供にはまともな服を着せたいと考えるだろう。また、たまにはレジャーを楽しみたいとも思う。そしてこれらの消費が大河となり、市場を活性化させていくことになるのだ。

個人的な試算だが、最低賃金は時給あたり2000円に高めても問題は生じない。これとて、年収は400万円に満たないからだ。つまり異常ではなく、常識的な賃金レベルなのだ。

本来、真っ当に働く人々は、最低限でも真っ当に暮らすことができなければならない。ワーキングプアなどの低所得者層の非正規労働者が、労働人口の4割に達するなど異常のことなのだ。

真っ当に働いて真っ当に暮らせない人が多いのは、その分のお金が使われずに積み上がっていることの裏返しにすぎない。これを少しだけ市場へと流入させることで、経済は好循環へとシフトし、引いては市場自体が本格的な拡大を遂げることになる。

皆幸せになれるわけである。

 


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