50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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年金パラサイトシングルを作り出さないための親の戦略


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■年金パラサイトシングルを持つ親の苦悩

以前、本ブログにおいて、56歳ニートについて取り上げたことがあった。そもそもニートの定義は35歳までの若年無職者ということになっているので、56歳ニートは存在し得ないわけだが、要はミドル世代の引きこもりである。彼は母親と二人暮らしであり、母親の年金によって生きていた。

この存在は、テレビで放映されたようで、多くの批判をネットにも書き込まれていたようだ。しかし俺は、もし親子が了解の上であるのなら、それはそれだと、そんなような書き方をした記憶がある。

親とすれば、息子と生活していれば、何かあった際に手助けをしてくれる安心感があるだろう。まあ、できれば働いてもらいたいとは考えているだろうが、働かなくても何とか二人の生活が回っていくのであれば、それはそれである。

ただし、親としての一抹の不安は払拭できないことだろう。「我が子は、自分が死んだ後に、果たして生きていくことができるのだろうか」と、息子の将来を必ず案ずることになるはずだからである。実際、親が他界しても、年金を得たいがために、白骨化した親を横に生活を続ける息子の存在が露呈し、大きな衝撃を社会に与えたこともあった。

さて、では年金パラサイトシングルを作り出さないために、親はどのような教育を施す必要があるだろうか。今回は、この点について考えを進めてみたいと思う。

 

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■子供が大学に進学した際の親の対応

俺の子供はすでに成人している。不埒に生きている俺の子供なので、そんな人生を歩むことのリスクを知り尽くしている彼らは、大学を出て真っ当に働き、しっかりと貯蓄もしているようだ。すでにカネをため込んでいるはずだから、俺がパラサイトになることはあっても、年金パラサイトシングルに対して、俺が頭を抱えることはまずないと考えている。

また、カネがない場合には、使わないことを考えるか、もしくは稼ぐことを考えなければならないことを、子どもが大学時代に俺は意識して教育した。と、こう書くと随分と偉そうだが、実はこの教育は簡単だ。というより必然的に子どもはカネの重みを身につけざるを得なかったといる。なぜなら、親の俺は収入が不安定であったので、自らの力で生き抜き、そして学ぶ必要があったからである。

上の子は国立だったので、学費は何とか俺が工面できた。しかしそれ以外は「必要であればあとは自分で何とかしてくれ」と指示をした。一方、下の子は、自宅から通っていたものの、私立に進学したので、学費を全額面倒見ることができなかった。よって奨学金を借りるように指示をし、交通費や小遣いなども出せないので、これまた「必要であればあとは自分で何とかしてくれ」と伝えていた。

つまり、最低限度のサポートはしたものの、それ以外のカネは自分で得る事を学ばせたわけである。まあ、学生の多くはアルバイトをしているはずなので、そういう意味ではごく普通のサポートいえるが、この際に意識した点が2点ある。

 

■子供を年金パラサイトにしないための教育とは

まず一点目は、「ない袖は振れない」ということだ。子供は通常、学費や教科書代、食事からトイレットペーパーに至るまで、家にいれば無条件で使えることを前提として高校くらいまでは成長するはずだ。だから、カネの重みはあまり認識していない。よって、小遣いが足りなければ親にせがむことだろう。

しかし、大学に進学してからは、足りない部分は自分で作り出す必要があることを教えた。つまり、カネが足りないといってきても「ない袖は振れない」と安易にカネを渡すことはなかった。というより実際渡せなかった。

また、二点目として、「カネを借りてはならない」というルールを設定していた。学生とはいえ、3年になる頃には成人に達するので、単独の判断において、借金をすることも可能となる。しかしこれを禁止したわけである。

さて、この二点を教えておくと、彼らにどのような事が生じるだろうか。たとえば、合コンに行ってカネを使ってしまい、交通費の工面がつかなくなったとする。大学には歩いてはいけない距離なので、「交通費を出してくれ」と親に泣きつくことだろう。また、食事も取れず、これまた困るので「せめて食事代くらいは・・・」と要求するはずである。

ところが俺は「ない袖は振れないと言ったはずだ」と、自分の貧乏状態を楯に、ドヤ顔を決め込んだりするわけだ。すると、彼らは歩くか自転車を使って大学へ行きつつ、外では食べたいものが食べられない。親としては、何とか工面したいと考えるものだ。しかしここが我慢のしどころだ。

この時に、子供はカネの重さを学ぶからである。カネがないがための不自由をしっかりと認識するわけだ。また、不自由を回避するためには、何とかカネを作り出さなければならない。しかし「金を借りてはならない」というルールがあるので、働いて作り出さなければならず、また、得たカネを浪費してしまうと、再び不自由となることから、有効に使う術を徐々に学ぶことになる。

大学生とはいえ、社会の経験をまったく持たない子供だ。最初は同じ過ちを繰り返すが、カネの扱いを誤る度に、その代償としての苦悩が襲うので、次第にカネの重みを認識するようになる。子供たちが、カネに対するしっかりとした認識を持つまでは、親はそれを傍観し、かわいそうだからと手を差し伸べてはならないわけである。

さて、いかがだっただろうか。

子供には、一時期カネの重みを教える必要がある。ないからと渡していては、子供はカネの重みをいつまでも学ぶ機会がない。カネ勘定など、加減算で解を得ることができるわけだが、実感としてカネの重みを学んでおかないと、いつまでたっても親離れができない。
だから、これらか大学へ進学する子供を、もしあなたがお持ちなら、是非とも意識してカネの教育を施していただければと思う。そんな一時期を経た子供が年金パラサイトになる確率は、大幅に低減するはずだからである。

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