50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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55歳が語る人生を豊かに幸福に過ごすための行動学


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■不幸な人と幸福な人に存在する傾向
長い人生だから、いろいろなことがあるものだ。頭を抱えるような壁に囲まれて、戻ることも進むこともできない状況に遭遇することがある一方で、すべてにおいて順調にことが運び、至福の時を味わうことができる時期を経験することもある。

しかし周囲を見渡してみると、どちらかというと幸福に人生を過ごされている方がいる一方で、この人は随分と不幸に生きているんだろうなと思える人もいる。

まあ、実際に不幸か幸福かは、その当人にしかわからない。裕福で誰もが羨むような生活をしている人が、実は不幸のどん底にいたり、逆に貧しい生活をしているにもかかわらず、生きていることがとても楽しく充実している人も少なくない。

ただ、いろいろな人を見ていると、あることが原因となって、ずっと不幸の縁をさまよっている人もいたりする。このような人は、行動パターンを少しだけ変えるだけで、随分と幸福になることができるはずなのにと、もったいなく思ったりするが、それがまったくの他人であるならば、お声がけをすること自体はばかれる。

「よけいなお世話だ」と怒られてしまうのが関の山だからだ。

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■不幸であり続ける人の傾向とは
さて、ではどのようなタイプの人が、不幸であり続ける人なのかという、俺の個人的な考えをここで述べてみようと思う。まあ、アクセス数もあまり多くないブログなので、さしたる影響もないだろうと、気楽に書いてみたりする。

長い付き合いの人たちの中で、常に自己の不幸に苛まれている人は少なからず存在する。そしてそんな人にはある共通点があるものだ。

それは、第三者の至らない点や、自分より劣っている点を探しては、それを指摘しようとする人たちだ。まあ人間だから、人の不幸は蜜の味と感じる側面は誰にでもあるものだと思う。でもこれも度が過ぎると、それはそのまま自分を不幸へと陥れることになりかねないので、十分な注意が必要となる。

この癖を持つ人は、実は自分の中に大きなコンプレックスを持っていることが多い。しかしそれについては、自らあまり認めたいとは思っていない。ところが認めないからと、コンプレックスが消えることはない。

そこでこのコンプレックスを少しでも軽減しようとするがために、第三者をネタにつかうわけだ。これは意識的に行う人もいれば、無意識にそんな行動をしていることもある。

さて、人の弱点が見つかり、それを指摘することができると、自己にある色濃く存在するコンプレックスの色を薄めることができる。相手に比べれば、自己のコンプレックスが小さいかのように思えるからだ。

ところがその効果は、あくまでも一時的なものとしか作用しない。人を批判した所で、所詮は他人事である。いつまでもその思いを引きづることはない。よってその効果は長くは続かずに薄れていく。すると、抱えたコンプレックスが、再び鮮明に浮かび上がることになる。

そこで次の批判対象を探す必要がある。しかしこれではずっと同様のことを繰り返さなければならない。一時的な対策でしかないために、同様の一時しのぎを、繰り返す必要があるわけだ。でもこれ、疲れる以外の何ものでもない。

■不幸な人が幸福へと歩むためのコツとは
では、このタイプの人が、真の安静や幸福を手にするためには、どうすればよいだろうか。

策は意外に簡単である。それは、コンプレックス自体を自分から追い出してしまえば良い。回避できないコンプレックスはないからだ。

「いや、俺のコンプレックスは自分ではどうにもならない」とそう思われる方もいらっしゃるだろう。しかしそれは、ひとつのなんらかの山を、自力で乗り越えることでかなり軽減させることができる。たとえそのこと自体に回避策がなくても、別の何かを懸命に乗り越えていくと、そこに形成される自信が、コンプレックスの色を薄くしてくれるものだ。

何らかの山を乗り越えるのだから、そこにはある程度の覚悟と、努力が必要となるはずである。でも、一時的なコンプレックス隠蔽工作を生涯続けるよりは、ずっと楽であり、それだけでその後の人生における多きな安らぎや幸福感を得ることができる。

たとえばこんな実例がある。

小さい頃から身体が弱く、いじめられていた少年がいた。彼はそれに反抗できない自分がとても嫌だたという。また、彼は自分よりも弱い人間を見つけては、いじめていたという。

ところが、ある縁あって、彼は柔道の道場に通うことになった。それは彼にとってとても辛いことだったが、頑張ってそれを続けたようだ。柔道は喧嘩とは異なることから、彼が黒帯を取るころになっても、喧嘩が強くはならなかった。でも、不思議と気持ちはとても楽になっていったという。また、いじめも徐々に少なくなっていったという。

彼は柔道を大学まで続けた。俺は知らないが、4段というときっと強い部類に入るんだろう。今でもシャイでおとなしい男だが、勇気のある立派な青年に育っている。

とまあ、そんな話です。

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