50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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非正規労働者が増加の一途を辿る日本の問題とは


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■非正規労働者が抱える問題とは

非正規労働者の数が増加の一途を辿っているという。非正規労働者とは、企業が一時的に必要となる労働力に対して、限定的に雇用される労働者をいう。

企業が自らを発展させていくためには、それに応じた労働力が必要となる。しかし市場動向によっては、より多くの労働力が必要となることもある。一方で、労働力を大幅に削減すべきときもあるものだ。しかし正社員として雇用してしまうと、現状は「いらないから」とすぐに切ることができない。よって正社員とは別に、必要に応じて増減できる労働力が必要となる。そしてこの企業ニーズを担うのが非正規労働者というわけだ。

ちなみに、日本における非正規労働者の割合は平成元年には20%未満だった、しかし平成25年には35%を越えてきている。このペースで増え続ければ、すぐにでも40%を越えることだろう。

非正規労働者が問題になるのはその賃金と労働環境にある。

正社員として働く人間の年間賃金の平均は、おおよそ400万から500万程度である一方で、非正規労働者のそれは250万円程度といわれている。つまり半分程度の賃金での労働を余儀なくされているわけだ。当然のことボーナスもなければ退職金もない。

また、労働環境も厳しい場合が少なくない。辛い仕事を安い賃金でまかされるわけだから、不満が噴出するのは当然のことだろう。さらには、いつまで働くことができるかの保障がまったくないのも、大きな不安要素のひとつとなっている。

「そろそろいらないんで」と企業にいわれて雇い止めを喰らうと、つまり首になると、翌月からの生活に困ってしまう。貯金があればなんとかしのげるが、安い賃金で働いていることから貯金も残すことができない。過酷でなおかつ不安要素満載のお仕事ってわけだ。

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■私が非正規労働者を目指していた時代

さてこの問題、どのようにしたら日本は解消することができるのだろうか。

ということで話を30年以上も前の昔に戻すが、実は私はその頃、非正規労働者になるために正社員として働いていた。
「嘘をいうな。負け犬の遠吠えか?」と突っ込まれそうだが、これは事実である。
高校もギリギリで出た私だったが、さてなにをやろうかと考えていた頃、新聞に多く登場するワードがあることに気づいた。

それは「コンピュータ」という言葉だ。当時はまだパソコンなどない時代だった。コンピュータは、一部の研究開発機関や大手企業に導入されるのみの大変高価なものだったが、それでも驚くほどの勢いで普及が進みつつあり、そしてそれに伴って価格も安くなりつつあった。

難しいことはわからなかったが、伸びゆく成長産業にとびこめば、バカな私でも生きていけるんじゃないかと考えて、私はとりあえず、小さなソフトハウス、つまりソフトウェアを開発する企業に正社員として潜り込むことにした。

初任給は8万くらいだったと思う。この当時の大卒初任給が12万くらいだから、まあ安かったわけだが、それでもバブルへ向かってイケイケ状態だった当時の日本市場だ。仕事はいくらでもあり、そしてその結果として残業や徹夜の日々が続いた。だから手取りはそんなに悪くはなかった記憶がある。

この頃、とても儲けているプログラマーやシステムエンジニアがいた。それは、フリーとして仕事を受注する人や、大手企業に雇用されて開発を行う契約社員の存在だった。また、いくつかの会社を経由して大手にたどり着くエンジニアもいた。これはいわゆる派遣社員だったが、彼らも同様に高い給与を得ていた。

まだガキだった私には、フリーで生きるスキルはなかったが、そんな私の当面の目標は契約社員だった。しかし当時、契約社員になるためには、そして高い給与を得るためには、それなりのスキルや行動力が不可欠だった。

つまり、それなりの資質がなければ契約社員になれなかったのだ。ちなみに契約社員の給与は言い値ってころもあったから、月80万円とかそんな給与で働いている者もいた。また、フリーの人間に至っては、いくつかの仕事を掛け持って月150万程度を稼いでいた人間もいた。


■非正規労働者の問題を解消するためには

さて、では当時は憧れの非正規労働者が、現在は社会問題化するのはなぜだろうか。

話は単純だ。非正規労働者の賃金が安すぎるのだ。まあ、職種やスキルにもよるだろうが、たとえば正社員よりも非正規労働者の方が高い給与を得られるのであれば、その労働条件を望む人間はいることだろう。

また、賃金よりも安定を望むという人間に対しては正社員と生産性を競わせ、高い生産性やクオリティを持つ者には無条件でその道を提供すればよい。

まあ、これには法的な整備も必要となるだろうが、高い能力を持ちながらも見合う待遇を受けられない労働環境が大きな不満を生むのであれば、それを満たす道を提示してあげれば良い。つまり選択の自由だ。もしこれが実現すれば、もっと生きやすい世の中になると思う。

日本は資本主義経済であり自由主義社会なのだから、安定を求めたいという者、安定よりも高い賃金を得たいという者など、さまざまであっていいと思う。また、働きたいと思う者がいる一方で、貧しくても過酷な労働はしたくないという者がいてもいい。

しかし、働きたくても働くことができなかったり、本来は働きたくないのに過酷な労働環境から抜け出すことのできない人間が多いのは問題だ。

もっと選択の自由ができるようなシステムや法整備を、ぜひとも偉い方々には考えていただきたいわけだが、これ、無理なんだろうな。なぜって、彼らは自分より下の層のことなんか考えなくても生きていけるもんな。また、経済状況が悪化したとしても、自分にまでは影響は及ばないと考えているかもしれない。

でも、あんまり安心しきっていると、突然遭遇するリスクを回避することはできないだろう。一度転落すると、なかなか這い上がるのは難しいもんですぜ、旦那。

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