50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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親族の飲み会でまたやらかした最低男


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先日、妻側の親類の集まりがあり、とはいえ飲み会なのだが、あまりお金もかからないというのでホイホイと出かけて行った。

想えば私も60代を手前にしている年齢である。以前は若手の集まりであったはずのメンバーも、それぞれ年齢を経ており、ミドルからシニアの集いとなってしまった。

親類の多くは、まっとうな人生を歩んでいらっしゃる。というより、不埒なのは私くらいである。みな安定した穏やか人生を送られているので、たまに会った際に私が豊かだと疎ましがられ、貧乏だと見下されるといった流れになる。

私は私であり、なんら人格に変化はないはずなのに面白いものである。

まあ、結果として私は貧乏なので、今回は突っ込み対象の酒の肴としては格好の存在となった。

親類の一人に大学を出てから公務員一筋で勤め上げた人がいる。彼は数年前に公務員を退職され、現在は自治体から紹介された企業で働いている。

■あるシニアの日本から出ていけ論

「最近どうなの」とたまたま近くの席で飲んでいた彼がいう。
「どうもこうも、貧乏に生きています」と、私は答える。
「そんなんで老後は大丈夫なの?」

彼の老後は悠々自適のはずである。一方であんたは大丈夫なのかという質問である。しかし酒の席である。その言葉にはちょっとしたトゲを感じる。

「まあ、今まで通りに生きていくんじゃないかなと」
「まさか、国の世話になろうなんて考えてないよね」
「プランはあるので。でも、最悪の事態となればわかりませんが」

私がこう答えると、彼の目がキラリと光る。
「そんなんだから、ダメなんだよ」
ほらきた、ほらきた。

「真面に勤め上げた人間ならいざ知らず、ふらふらと生きていながら、困ったら国の世話になろうなんて輩がいるから日本経済は復興しないんだよ」

私が日本経済とリンクし始めてしまった。

私はもともと国に養ってもらおうとは考えていない。養ってもらえば、ある程度の拘束をうけることになる。もともと気楽に生きてきているわけなので、自由が阻害されるのは困るわけだ。

「そもそもセーフティーネットなんていらないんだよ」

何杯目かの焼酎を飲みほした彼がお代わりを催促してからそういった。酒の肴である私を前にして持論炸裂である。
「国の世話になっている奴など、日本から出ていけばいい」
とどめの一発である。

■ナンピトの意味

私だけのことなら黙って聞いているつもりでいた。しかしセーフティーネット廃止にまで話が及ぶと対応を変えざるを得ない。しかも弱者排除の論調である。

自分が頑張って安定を築いたのはそれでいい。しかしだからと、弱者を一括りにして排除する考え方はあまりに狭い。

まあ、私のように望んだ生き方をしている者であれば自業自得であり致し方ない。

しかし弱者になった人のすべてが望んでそうなってはいないことに、彼は気づいていない。自分はセーフティな領域にいるので、それ以外の人間はみな排除すべきという考えに、どのような人生観を持てば至るのかがわからない。

カチンときたこともあり、また、酒の席でもある。場を盛り上げるためには、ここはちょっと応戦しておこうと考えた。

「あなたは、憲法をご存知か?」と私は彼にきいた。
誰でも知っていることだ。ちなみに彼の専攻は法学である。知らないわけはない。
「当然だ」と彼はドヤ顔で答える。
「では、憲法の条文各所で用いられている言葉をご存知か?」
私は彼に畳みかける。
彼の視線が定まらない。たぶんは脳裏にある条文を思い起こしているのだろう。
「『すべて国民は』と『何人(なんぴと)も』という言葉です」
「それがなんだ」
「意味わかります?」
「だからそれがなんだ!」

彼の声に他の親族からの注目が集まる。

「どのような持論を展開されるのも自由だが、あなたのそれは最高法規の定めと大きな乖離があるように思う。あなたは日本から出ていくおつもりか?」

彼の顔が真っ赤なのは、酒が回っているのかそれとも激怒しているのか。
さらにお返しの一発をと考えていた時、背後から声がする。

「そろそろ帰る?」

妻だった。

■人の考えはその時々で変わるもの?

私は他の人への挨拶をすませて店を後にして、妻の車の助手席に乗り込んだ。

「またあの人を怒らせたでしょう」と妻がいう。
「えへへ」と私は頭をかく。

妻の言葉からもご察しのように、彼とは度々このような展開となる。

しかし決して仲がわるいわけではない。10年以上前、彼は私に「どうしたら君のように自由に生きることができる?」と質問をうけたことがあった。当時私の生活は悪くなく、それでいて不埒に生きていたので、うらやましく思えたのかもしれない。

「仕事を辞めようかと考えてるんだ」
と、うなだれる彼の言葉に私は驚いた。

激務と重責に押しつぶされそうになっていたのだろう。せっかくの地位と安定を本気で捨て去ろうとしている。これは流石に非常事態である。

「いやいや、あなたが考えるようなものじゃありませんから。あと10年足らずでしょう。頑張られた方が」

と、釈迦に説法のような助言をしたこともある。彼は結果としてその苦境を耐え抜き、そして今がある。

しかしこの際、もし本当に彼が退職をしてしまったなら、現在は私と同様の境遇を味わっていたことだろう。それでも弱者排除論を唱えただろうか。いや、そうは言わなかったはずである。人の多くはその時々で考えを変えるものである。

「毎度のことだけど、中心的な人なんだから気を付けてね」と妻。
私は「はいはい」と小さくなる。

不埒な最低男ながら、飲み会の彼との議論では全戦全勝を貫いており、おかげで妻の親族からの印象はめっぽう悪いわけである。


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