50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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50代以降の地方日雇い労働者に見られる傾向


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前回は「地方日雇い労働者の悲惨な現実」として、実際にそこで働く労働者の実態や、なかなかこの仕事から抜け出すことができない「沼」についてご紹介した。前回のお話は、主に30代、40代の日雇い労働者事情について語ったものといえる。

そこで今回は、50代以降の地方日雇い労働者にスポットをあて、その傾向や実情についてみていくことにしよう。

30代、40代と50代以降の日雇い労働者の事情は大きく異なる。なお、今回の記事についても、あくまでも「地方」に限定したものなので、東京などとは事情が異なる。この点はあらかじめご理解いただきたい。

■50代以降の地方日雇い労働者はなぜ少ないか

地方に限定してのことだが、50代の日雇い労働者数は、30代、40代ほど多くはない。これは統計的数値に基づくものではなく、実際に日雇い労働者として働く私の主観的なもだ。よって、すべての地域においていえることではないかもしれない。しかし50代以降の地方日雇い労働者が私の周辺に少ないのには、しっかりと理由や事情がある。

50代の人々の多くは、実はバブル崩壊前後において社会に出ている。この当時は、まだ派遣法には職種に制限が設けられていた。よって社会に出て働くことはそのまま正社員になるということだった。また、たとえ転職を繰り返しても、非正規労働者に転がり落ちることはなかった。

そうこうしている間にいずれ結婚をする。それが常識的な流れだったからだ。つまり現在の50代の婚姻率は、30代や40代に比べて高い。また、結婚をしていれば日雇い労働者として働き続けることは難しい。よって求職活動を行う場合、なるべく正社員の仕事を探す必要性がある。

正社員として家庭を持った人の多くは、仕事を辞めるという選択肢が現在はないに等しい。再就職はまず難しいし、できたとしても年収は半分程度になる可能性が高いからだ。よって、如何に辛くてもその職場にしがみついている必要がある。このため、現代の50代は安易に仕事を辞めて日雇い労働者に落ちることは少ない。

地方の日雇い労働の仕事はみな厳しい現場が多い。これまでホワイトカラーで生き続け、筋肉が退化してしまっている方は、体力的にもこの仕事を続けることができない。また、シニア世代になれば日雇い労働をしなくても、シルバー人材センターで仕事を斡旋してもらうことができる。これらも楽な仕事ではないが、少なくとも日雇い労働よりは体力的負担も少なく、仕事も安定している。

これらの事情から、50代以降の地方日雇い労働者は、30代や40代のそれよりも少ないという結果になるわけである。

なお、この傾向は、あくまでも地方を限定している。よって東京はこれに当てはまらない。地方で失職した人が東京へ出て、結果として日雇い労働者となることもある。また、出稼ぎのために東京を目指す人もいるからである。

■今後は50代以降の地方日雇い労働者が増加する

前回において、30代40代の地方日雇い労働者の実態をご紹介している。多くが独身でなおかつ実家から通う。低収入でも何とか生活ができる立ち位置にいるため、どうしても沼から抜け出すことができず、そしてそのまま歳を重ねてしまう。

彼らは今後も年齢を重ねる。よって今後は50代の日雇い労働者も地方において増加傾向をたどることが予想される。ミドル以降になれば、おおよそ沼から抜け出す選択肢はなくなってしまうからだ。

実は、雇用という選択肢を取らなければ、沼から抜け出すことはいくらでもできる。しかしそのためには、行動力と幅広い知識、それなりのマインドセットが不可欠となる。ところが沼に浸ったままだと、なかなかこれを得る機会がない。よって沼から出ることができないといった事態になる。今後増加し始める50代以降の地方日雇い労働者は、過酷な生涯を送る可能性が高いといえる。

■現在の50代以降の地方日雇い労働者にみる共通点

次に、現在の50代以降の地方日雇い労働者についてみていくことにしよう。実は現在の50代以降の地方日雇い労働者は、30代40代のそれとは少々事情が異なっている。これにもしっかりとした理由がある。

比率的には少ないものの、地方における日雇い労働者には50代以降の存在もある。ところが低賃金にもかかわらず、彼らはおおよそ既婚者である。つまり妻があり子供がいる。また、その多くは自分所有の自宅に住んでいたりする。さらには、現場に乗り付ける車も、意外に立派な車種であることが少なくない。

「日雇い労働者なのに?ありえないだろう」と、そう思われることだろう。しかしこれにはからくりがある。

先に50代以降の地方日雇い労働者が少ない理由を述べている。現在の50代が沼に陥ることができない事情があったわけだ。しかしそれでも、少なからず50代以降の日雇い労働者が存在し、しかも彼らの多くは、家や家族、そしてグレードの高い車を持っている。

実は彼らの多くは仕事を持っている。つまり本職が別にあるのだ。地方の場合、東京ほど勤め人の比率は高くない。農家である場合もあるし、自分で何らかのサービス業を営んで現在に至るといった方が多い。

また、この年代になると、多くの方は教育費や住宅ローンなどの負担から解放されている。このため、本業の負荷を減少させたり子供に譲ったうえで、生活に必要な最低限の現金を日雇い労働で得るといった人が目立つ。つまり彼らにとって、この労働は、生活の糧というよりアルバイトに近い。

すべてのミドル以降の日雇い労働者に共通するものではないが、傾向としてそんな人々が多いのは、私が実際に働いたうえで出会った人々の持つ共通点だ。よって、あながち間違いではないと思う。

■労働のみならず人生全体を把握する必要性

50代以降の地方日雇い労働者の実態、いががだっただろうか。今回2回にわたり、日雇い労働者について特集したが、この悲惨な労働環境の中にも様々な人生が存在することがわかる。

本ブログをお読みの方は、30代から50代の方が多い。それぞれに人生があり、様々な生き方を経て現在に至っているはずである。

人生における労働とは、生きる糧でありまた生き甲斐であるかもしれない。しかし労働の枠を超えて、自分の人生をどのようにプランニングしていくかを、あらかじめ見定めることができている人は、自由度が高くそれでいて困窮することのない人生を歩むことに成功しているように見える。

人生のプランニングは、早ければそれだけ有利に機能するが、ミドルやシニアになってからであっても遅すぎるということはない。つまり今からであっても、改善方向へと歩むことは十分に可能なのだ。そしてそのために必要なことは、行動とそれによって得られる経験である。

悲惨な日雇い労働だが、その沼にハマる人もいれば、適度に活用して人生を豊かに過ごす人もいる。今まで以上に視野を広げ、より多くの事を吸収するとともに、頭を使い過ぎず、行動を起こすことができれば、きっと人生はより良いものへと変えることができるように思う。


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