50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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50代で把握しておく必要がある「既知」と「理解」の相違


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50代の方であれば当然のことだが、間違いなく半世紀以上生きていることになる。また、半世紀以上も生きていると、おおよその事は体験してきている。このため様々なことを語ることができるようになるし、時には若者に助言をしてあげることもできるようになる。そもそも四十にして既に惑わない領域に達しており、その上で五十にして天命をも知ってしまうわけだから、これは相当のものである。

ところが、長年生きて多くの経験を積み上げたからこそ、生じる問題点もあるものだ。そしてこの問題点をしっかりと認識しなければ、その後の人生は、意外にも小さくまとまってしまう可能性が高いことをご存じだろうか。

と、このように書くとなんとも偉そうだが、実は最近この問題に自ら直面し、大いに反省しているところであり、せっかくブログを持っているので、この点について多くの同輩の方々と共有したいと思い、今日はそんな話題でお茶を濁すわけである。

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■「既知」と「理解」の相違と誤認識

では、50代以降が抱える可能性が高い問題とは何だろうか。これは記事タイトルにもあるように「既知」と「理解」の相違と誤認識だ。

「なぁんだ。そんなことか。それなら知ってるよ」との思いが脳裏をよぎったあなた。要注意である。人間半世紀も生きていると、日々遭遇することの多くは、既知の事として処理することができる。また、これまで遭遇したことがなかったことであっても、どこかの文献や書籍で目にしたことがあったり、新聞記事を読んでいたりで、おおよそのことを知っていたりする。

ところが、知っているからこそマイナスとなることも多い。そして50代の人の多くは、このマイナス面を持ってしまっている。つまり知っていることが足かせとなっていることが少なくないのだ。知識が豊富なことは良いことである。ところが、多くの知識は自分の固定観念を固めてしまうことにもなり、知識の向こう側にある真実を知るうえで邪魔になることがある。

たとえば、友人と居酒屋で飲みながら話している際に、その友人があるビジネスモデルの有効性を語ったとする。あなたはそれについてのおおよその知識を有している。そこでそのビジネスモデルの市場性や発展性、収益性とリスクなど、メリットデメリットを即座に答えることができることだろう。つまり、その知識についての知識があり、また、ない部分についても関連する知識を総動員すれば、おちょこ片手にでも、レポート数枚分くらいの見識を語ることができるわけだ。あなたの意見に論理性があるのであれば、友人は「なるほど」といってその話題を終わりにするだろう。話題は2次会の話に移行するかもしれない。

このようなシーン、思い当たることはないだろうか。また、ビジネス以外のネタ、たとえば生き方や考え方などの話題においても、同様の対応をされた経験がおありかもしれない。周囲からすれば、知識があり、認識力や判断力に長けていて、ダテに歳は取っていないと思われるかもしれない。しかしあなたのその意見、単に知識のつなぎ合わせになってはいないだろうか。

「どういうこと?」

重要なことなので、もう少しわかりやすい例をもうひとつ。たとえば、友人が西に旅立つ計画を立てている。そこであなたは助言することになる。

「西には魔物が住んでいるようだ。また、途中の山ではがけ崩れがあり、迂回路もない。やめておいたほうが良い」

友人はあなたのありがたい助言を聞いて、西へ旅立つことをやめるかもしれない。友人には感謝されることだろう。

しかしである。

この際、あなたは西へ行ったことがあるのかという点が問題になる。実際に西から帰ってきたあなたであれば、その助言は正しいものであり価値がある。ところが、実際に行ったことはなく、単に知識として得た情報をもとに語っているのであれば問題が残る。なぜなら、西には魔物の代わりに女神が住んでいて、がけ崩れの代わりに花畑があるかもしれないからだ。

これがここでいう「既知」と「理解」の相違となる。つまり、知識はあくまでも知識であり実体験を伴うことがない。一方で「理解」とは何らかの行動や思考によって得た答から導き出されるものであり、双方はまったく異なるものなのだ。

■人生の岐路における「既知」の弊害

この相違は、自己の意思決定の際にも大きな問題となることがある。たとえば人生の岐路における選択の場だ。50年という長き道を旅してきたあなたは、岐路に立っている。左はとても険しくリスクも大きな道、右は比較的なだらかで安全な道という情報をあなたは持っている。よってあなたは右の道を迷うことなくチョイスすることになる。

しかし決断を下す前に、今一度考える必要がある。それは、その知識とは、どこから入手したものであるかという点である。「多くの資料にもそうあったし、みんなそう言ってるし」で決定していないだろうか。

確かに左はリスクが高いかもしれない。しかしあなたにとっては適度な刺激を持ったとても充実した旅を満喫できる道かもしれない。一方で、右はとても安全だが、なんの面白みもない道かもしれない。これはご自身で体験してみるまでわからない。

リスクを取れという話ではない。単なる知識の貼り合わせは、ある程度のリスク回避にはなったとしても、実際に体験して得た感覚の上での理解には程遠い、とぼしい情報でしかないということである。50代にもなれば、多くの人は知識の塊である。そしてその知識は、多くの場合、行動するなくネガティブな判断を下すことにもなりかねない。つまり、何もできなくなってしまうことが少なくないわけである。

■知識は経験に基づいているものかを確認する重要性

よって、何かの判断を下すうえでは、まずそれを決定した知識の出元を確認する作業が必要となる。そして単なる知識であるならば、それは参考程度にとどめておき、実体験として体感できる何らかの行動を起こしてみる必要がある。

何らかの行動を起こせば、それが失敗に終わったとしても、独自の経験を得ることが可能となる。すると、次のステップが見え始めることになる。それは単なる知識ではない。知識を超えた理解の領域にある。

そしてこの理解、最初に持っていた知識と比べてみていただきたい。それはまったく異なるものであることに、きっと気づかれるはずである。知識を貼り合わせるのではなく、自ら行動し、その反応を体感してみることはとても重要なことである。実際の体験の中で物事を理解し、その上で判断を下すことができるようになれば、今後の人生は、より充実したものになるかもしれない。

そう、女神とお花畑でデートができるかもしれないのだ。

 




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