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50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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現代の労働とその中で増大し続ける2つの問題

人生編 社会問題編 若者への提言編 現在の中年編


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■労働とは何だろうか

もともと労働とは社会貢献の一環でもある。個々が仕事を持つことで、社会は栄えていく。スマホでオーダーした翌日には商品が自宅に届くためには、数多くの人々の労働の介在が不可欠である。同様に、あなたの労働もまた、何らかの製品やサービスなどを生み出したり、これを流通させるための一役を担っているはずである。つまり、労働はそのまま社会とのかかわりを持つことであり、労働を通して社会的存在の参加者となりえるわけだ。

また、人は自己の存在理由を考える生き物だが、労働を通して社会的存在となっていれば、何らかの形で社会に貢献しているわけだから、この側面において存在理由を満たすことができる。社会の発展の担い手であることは、精神的側面においても、十分に健全な事と言えそうである。

ところが、すべての労働者が労働を通じて社会的存在を感じたり、自己の存在理由を満たすことができるかというとそうではない。これは、個々の意識によっても異なるだろうし、職種によっても得られる度合いには格差があるはずである。

個々の労働は社会が構造をなす上で必要不可欠なものといえる。個々の労働がなければインフラが整備されないし、流通が機能しない。手軽に食材を得ることができないし、そもそもネットさえも使えなくなる。

また、労働は個々の生活を支える上でも不可欠なものと言えるだろう。かつて社会が構造をなす以前における労働は、狩りであった。食物を得なければ生きていくことができないことから、狩りがそのまま生活を支えるための労働であったわけだ。

しかし社会が構造をなすようになってからは、個々の労働は、社会を支えるために機能するようになった。労働は賃金を得て生活を維持するために不可欠であり、賃金を消費することもまた、社会貢献に繋がることになった。

人は働くことにより、社会構造の形成を担い、同時に個々の生活を維持する。また、豊かな生活を実現するために、消費や需要が拡大し、それを満たすための労働が新たに生まれることになる。この好循環が社会を繁栄させることにもなったわけだ。

ところが今、労働環境は急速に過酷さを増してきている。また、この中で二つの大きな問題をはらむようにもなってしまった。

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■過剰な労働時間とストレスフルな日々

ところで、「働き方改革」をご存知だろうか。一億総活躍社会の実現に向けた「働き方改革」は、日本の企業や暮らし方の文化を変えるものだという。これで日本の労働者も文化的な生活ができるのかと思ってその動向を見ていると、どうも流れが怪しい方向へと向かっているように思えてならない。

36協定を見直し、残業時間については、繁忙期月100時間まで、2か月平均で月80時間の制限を設けるという。月100時間の残業の場合、出勤日数を週5日と考えた場合、1日当たり5時間の残業という事になる。定時が17時、17時30分から残業がスタートすると考えた場合、業務が終わるのは22時30分。帰宅するのは24時近く。風呂に入りあれこれとしていると寝るのは2時ごろになるだろうか。7時起床と仮定すると睡眠時間は5時間だ。平日はこのサイクルでの生活が日々続くことになる。さて、このような生活に、文化的な生活の要素が見えるのだろうか。

仮にこのサイクルを余儀なくされたとしても、その人の生き甲斐が仕事にあるのであれば、これは問題なくこなしていくことができるように思う。ただし、ご家庭をお持ちならば、妻や子供たちの事も考慮しなければならない。また、生活のために働いていると感じているのであれば、1日の大半が労働時間となるこのサイクルでは、精神的にも肉体的にもかなりの負担になるはずである。到底、文化的な生活を営むどころの話ではない。

ただし、100時間もの残業となれば、残業代だけで20万円を超えてくるので、経済的余裕を得ることができるかもしれない。ところが、この部分にも問題は潜んでいるようで、本来であれば違法であるサービス残業の強要が、現在でも多くの企業で行われているという。1日の大半を労働にあてているにも関わらず、収入面でもさほどのメリットが得られないとなると、これはもう、地獄としかいいようがないようにも思えてくる。

「俺はいったい、何を目的として生きているのだろう?」といった疑問が、脳裏を過ったとしても、それは当然のことと言えるだろう。

■働いても働いても生活が安定しない労働者

労働に関しては、別の側面の問題も噴出している。低賃金でなおかつ不安定な労働環境の増加である。昨今、まともに働いても、まともな生活ができない労働者が増加傾向にある。いわゆるワーキングプアの存在である。

必死に社会貢献を果たしたとしても、それに見合う賃金を得ることができない。すると、消費も先細る。消費が減少すれば、仕事や賃金も減ることから、必死に働くことの意味もまた失われていく。それでも、仕事に生き甲斐を見いだすことができれば、労働に対する意義を見いだすことができる。しかし、過酷な労働やストレスフルな毎日、社会貢献とは言い難い単純労働など、生き甲斐を見いだすことができない労働者は、年々増加傾向にある。

中には、低所得でかつ不安定な雇用状況の中で、結婚すらできない労働者が急増している。結婚ができないわけだから、子供を産んで育てることもできない。本来、人間があたりまえに持つべき生き方さえも失われているのだ。

仕事に生き甲斐を見いだしたいと考えても、その仕事にすら就くことができない。生活は困窮し、今後の安定性も見いだせず、家族をまともに食べさせることもできない。そんな状況に陥った多くの労働者は、「なぜここまで必死に働かなければならないのか?」と、そんな疑問がよぎっているはずである。

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■国は労働者ではなく企業側を向いている

正社員、非正規労働者、ともに労働に大きな不満や不安を抱えている現状において、働き方の改善を、国はどのように考えているのだろうか。と、そう考えて改めて厚労省のホームページを見てみると、そこにはこうある。

「「働き方改革」は、一億総活躍社会の実現に向けた最大のチャレンジであり、日本の企業や暮らし方の文化を変えるものです」

変えるのは、日本の企業や暮らし方の文化とある。日本の企業をさらに発展させたいのだろうか。まあ、企業が発展しなければ法人税を得ることができないのは当然である。そして次の「暮らし方の文化」とは何だろうか。これを当初、文化的な生活の実現と理解したが、よくよく見てみると、そうはなっていないのが気にかかる。より過酷なものとなっても、それは「暮らし方の文化」から外れることはない。言葉は使いようである。国は今、明らかに企業側を向いている。

さて、私たちの労働環境は、今後も過酷な方向へと導かれてしまうのだろうか。これを考えてしまうと、今日も眠れない夜となってしまいそうである。

・・・つづく

 

 




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