50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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大きな変化を見せ始めている消費構造の今後とは


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■社会が繁栄する構図

資本主義社会においては、消費拡大が繁栄条件の一つである。よって企業は様々な手法を用いることで新たな市場を拡大しようとする。また、その市場に対して、より多くの製品やサービスを投入しようとする。これまでに存在しなかった新たな付加価値を作り出しては、その利便性を消費者に対して訴求することにより、新たな消費をひねり出そうとするわけである。

これらは、企業が利益を上げるためには不可欠な戦略であり、あらゆる業態や企業がそんなモデルを推し進めている。また、消費者側においては、より高級なもの便利なものを求める傾向にあることから、結果として社会は豊かに繁栄するという構図ができあがる。

「この車、特別なモデルで一般にはあまり出回っていないんだぜ」
「あのバッグ、日本ではあまり見かけないけど、ヨーロッパではとても人気なの」

と、まあこんな具合である。

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■成熟期を迎えた社会のピラミッド構造

ところが、このような構図が成り立つのは、実は資本主義社会の成長期に見られる傾向と言える。経済が発展すると、そこには大きなピラミッド構造が形成される。ピラミッド構造は当初綺麗な三角を形成するが、次第に潰れた平たい形へと変形していく。膨大な富を得る一部の資本家と、その配下の労働者層だ。富める者はより富むものの数は減少傾向をたどる。その一方で貧しき者が増え始め、絶対的な格差社会が形成される。

これを所得構造で表すと、ちょうど真逆のピラミッド構造となる。一部の資本家が膨大な資産を保有する一方で、多くの労働者の所得は下がり、貧困にあえぐようになるわけだ。

■変化を続けるピラミッド構造と消費者意識

さて、では今後、平たくなったピラミッドは、どのような形に変えていくことになるのだろうか。富める者は永遠に富み、貧しい者はさらに増加して貧しくなっていくだろうか。

物事は常に変化を続ける。ある形に安定しそれが固定化するということはない。たとえばガラスとて個体ではなく流体である。流れている。ただそのスピードが遅いのでそれを認識することができないだけである。現在のピラミッド構造もまた、今後も変化を続けることになるのだ。

この傾向は、すでに見え始めている。新たな消費者タイプが増えつつある。それは、消費をしないことに喜びを感じる消費者である。

実質所得の上昇が望めないのであれば、また、若干の増加はあっても物価上昇にそれが追いつかないのであれば、当然のこと消費を増やすことができない。また、今後の安定性が担保できないのであれば、一時的なお金を得たとしても、それを消費へと回すことができない。消費意欲と困窮状態の間において、当初はバランスを崩し破綻を招く者も多く出るが、今後の不透明性を理解すれば、自ずと防衛本能が働き、次第に大量消費をせずとも、その中に幸せや満足を得る方法に気付き始める。

■富を確保しようとあえぐ資本家の誤り

すると、この影響は頂点に君臨する一部の資本家にも影響を与えることになる。思うようにお金を吸い上げることができなくなるからだ。消費者から消費意欲がなくなれば、当然のこと物は売れなくなる。これでは富を維持できないので、人件費や下請けコストを削減することで、より高品質でかつ利便性の高いものを安く市場へと投入しようとする。

ところがここに、大きな間違いがある。

コスト削減の対象となった労働者や下請け業者は、そのまま消費者、つまり顧客でもあるという点である。いくら良い製品を市場投入しようとも、その背景において消費者の所得を削減してしまっては、消費者を拡大することはできない。よってなかなか物は売れてくれない。これはまさに、闇に向かって何かを訴え続けるようなものである。

本来、富める者は、貧しきものにお金を還元する必要がある。それは、給与でも良いし税金でも良い。はたまた、設備投資でも良い。これらにより、消費を拡大させ、利益を確保するといった循環が必要となるのだ。

現在の大手企業の多くは、このことに気づいていない。一部の地域や業態においては、深刻な人材不足が発生していることから、所得額は上昇している。ところがこれは、あくまでも一部であり、日本全土の実質所得は上昇方向へシフトしていない。このままの傾向が仮に続けば、現在のピラミッド構造は、さらにフラットなものとなり、いづれは構造自体が崩壊することになるのかもしれない。

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■静かに消えつつあるこれまでの消費構造

現在の若者の多くは、車を持たないという。「単に余裕がないから」という理由もあることだろう。しかし、すでに気づき始めている。企業側が提示する製品、ブランディング、付加価値がなくても、十分に幸せに暮らすことができることをだ。実際、ミニマリストやシンプリストが急増している。ものに依存せず、最小限度の消費において、精神的に豊かな暮らしを追い求めようとする若者である。そんな賢い者が増加傾向にあるのだ。

彼らは決して低所得者層ばかりではない。所得はあっても消費はしない。最小限の消費の中で自由で豊かな生活を楽しみながら、貯蓄を積み上げている。今後もそんな消費者は、さらに拡大することだろう。

「ブランド?なにそれ」
「付加価値?むしろ邪魔」
「利便性?あえていらない」

大量消費とマスプロダクションに湧いたかつての消費経済、そしてそれによって形成された消費構造は今、静かに消えつつあるのかもしれない。

 

 


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