50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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同一労働同一賃金についての考察


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■同一労働同一賃金に向けたガイドラインの問題点

同一労働同一賃金について、ガイドラインを作成する方針を政府が決定している。同一労働同一賃金とは、同一の仕事、もしくは職種に従事する労働者は、皆、同一水準の賃金が支払われるべきという概念だが、政府は、正規労働者と非正規労働者の賃金格差を是正することを目的としているようだ。

非正規労働者など低所得者層からすれば、一見、格差是正に向けた素晴らしい指針であるかのように思える。しかし、ガイドラインが作成され、実際に行政指導ができるようになったからといって、格差是正のための賃金体系が実現するかというと、どうも怪しい雰囲気だ。ガイドラインは多くの場合、意図的なのか、それとも単なる甘さからなのか、いくつもの大きな穴が存在するため、実際に機能しないことが少なくないからだ。

よって、格差是正のための詳細な規定がなされる事が重要となるが、そこまで精度の高いガイドラインが出てくるのかについては、少々期待薄でもある。というのも、難しい問題をはらんでいるからである。

たとえば、同一労働同一賃金の「同一労働」の部分だが、これを「同一業種」とするならば、工場で勤務する労働者は、正規社員も非正規労働者も、同じ賃金体系としなければならなくなる。すると、どちらかの水準に合わせる必要が生じるが、もし一部の正社員水準に非正規労働者の賃金を合わせるとなると、ライン生産の多くを非正規労働で賄う工場の人件費負担は、とてつもなく多大なものとなるはずである。

「それは無理」と判断した企業が、「じゃあ、低賃金の非正規労働者水準に合わせよう」と判断したとなると、業種毎の大きな賃金格差を生じさせてしまうことになる。また、組合が強い企業においては、正規社員の賃金を業種毎に減額することに、首を縦に振ったりはするはずもない。

一方、「同一労働」を「同一の仕事」として定義した場合、ガイドラインはザルとなり、まったく機能することはなくなる。

たとえば、工場でライン生産を行う正規社員と非正規労働者がいたとしよう。しかし「同一の仕事」という括りの場合、正規社員と非正規労働者の仕事を、名目上、分割してしまえば、それだけで同一賃金を支払う必要がなくなる。非正規労働者の仕事を「ライン生産業務」、正規社員の仕事を「ライン生産監督業務」と定義づけてしまえば、それで終わるからである。

このような穴を、政府が今後ふさいでいくことができるか否かについて、国民は、十分に把握していく必要があろうかと思う。

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■非正規労働者の賃金が正規社員を超える必要性

格差社会を本当に是正するのであれば、むしろ非正規労働者の賃金は、正規社員の賃金の上にあらなければならない。

「社員より派遣社員の方が給料が上だって?そんな馬鹿な話はないだろう」

そう思われるだろうか。しかし実は、バブル経済から、それがはじけ飛んだ1980~90年代の日本には、そんな頃もあったのだ。

これは、一部の専門業種に限った部分ではあったが、非正規労働者の方が、正規社員よりも高い給与を得ている状況は、決して珍しいことではなかった。そしてこれこそが、平等な労働賃金体系といえた。

たとえば、当時のシステムエンジニアは、正規社員よりも非正規労働者の方が、給与水準は高かった。そんな時代に生きた俺は、実際に、非正規労働者の道を望んだし、「俺はお前ほどの実力はないので」と、正規社員の座を守ろうとした人間も少なくはなかった。

当時はまだ終身雇用制度が色濃く残されていたころだったので、正規社員の座にいれば、給与は安いものの、生涯の生活の安定を得ることができた。

一方で、実力で多くの給与を得ようと望む者は、正規社員の立ち位置を捨て、非正規になればよかった。非正規の場合、仕事ができなければ切られるというリスクがある。しかし高い技術力を持つ技術者であれば、高い給与を得ることが可能だった。つまり安定か、もしくは高い給与かを天秤にかけることが可能だったのだ。

また、高い給与を得ようと非正規になったものの、継続して生きていくことができない者は、再び正規社員に戻る選択肢も用意されていた。つまり、正規社員と非正規労働者の双方に、自由な選択権があり、自分に合った生き方をチョイスることができたのだ。

■選択の自由を盛り込んだガイドラインを

現状、非正規労働者の増加が問題化しているのは、労働の選択権がないからである。実力がない、学歴がないという理由で底辺に転がり落ちるのは致し方ないとしても、実力や学歴もある若い人間が、本来の力を発揮して生きていくことのできる受け皿がなんらないことが問題なのだ。

仮に、自由な立ち位置において社会的に貢献することができるようなガイドラインがあるのなら、現状、ワーキンブプアとして働く人の中には、もっと高度な仕事をして高い給与を得ようと考える者は少なくないことだろう。また、正規社員の中にも、より高い給与を求めて非正規に鞍替えをする者も出始めるはずだ。逆に、安定を求めて正規社員の道を選択する者もいることだろう。

自由な労働体系が選択可能となり、そして給与の差はあれど、まともに働くことで、家族が最低限生きていくことができる社会。そんな社会を取り戻すことができたのなら、その時には、きっと格差は大きな問題にはならなくなるはずである。なぜなら、格差のどちらにいようとも、それは本人の選択の末の結果だからだ。

現状の日本においては、望む立ち位置で生きることができない者が多いことこそが問題なのだ。この点を、今後のガイドラインに盛り込むことができたなら、日本国民の多くは、幸せに向けて歩むことが可能となるはずである。

 

 


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