50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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55歳になって原子力について考えてみた


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■原発事故の根本的な問題とは

日本は自然災害の多い国だが、そんな私たちも、言葉を失った大災害として、2011年3月11日に東北地方を襲った東北地方太平洋沖地震を挙げることができる。その直後の大津波、さらには津波によって電源を失った福島第二原発のメルトダウンと爆発、大量の放射能漏れ、広範囲に渡る放射能汚染と、人的なミスも手伝ってか、歴史に残る文字通りの大災害につながった。

この年の5月に、俺は仕事で福島を訪れている。多くの家の屋根はブルーシートに覆われていたし、小学校の体育館には、多くの避難者が生活をしていた。すでに事故から1ヶ月以上が経過していたわけだが、その爪痕はまだまだ色濃く残されていた。

俺はこの事故が起こるまで、原発は素晴らしい発電システムだと考えていた。放射能が恐ろしいことは認識していたつもりだが、それでも日本人のことである。徹底した安全管理のもと、チェルノブイリの事故に匹敵するものなど、日本では起こるはずがないと考えていたし、使用済み燃料についても、地層処分を始めとしての各種の処理方法が確立されているものと考えていた。

しかし俺のその認識は、とても甘いものであったことを、その後のニュースは嫌と言うほど見せつけることになった。そう、何も知ってはいなかったのだ。

かねてから思うが、国にはある種の不思議な考え方がある。

「国が決定したことはすべて正しい」という基本的理念である。人だからミスも犯すし間違いだってあるはずである。しかし国は人ではないので間違いはないという論理だ。よって国が「安全」と認めたものは、なにがどうあれ「安全」である。まあ、ここまでは、偉いお方が決めたことなんだから、実際にそうなんだろうと小市民としては納得するしかない。

しかし問題はその後にある。

「安全」と国が決めたのだから、そこには事故など起きるはずがないという論理の飛躍がまかり通る事実である。国は神なのかと耳を疑うような事実がそこにある。この事故において露呈した安全管理体制には、明らかにそんな論理がまかり通っていたことが見て取れる。さて、そんな論理の飛躍の上に成り立つ安全管理体制が存在したとすると、原発に対する安全性について、誰もが不安に思うのも当然といえる。

「これ、まずくね?」

頭の弱い俺だが、さすがに気づく。自らの判断が絶対であると信じている者ほど、危ない存在はないからだ。つまり何らかのアクシデントが発生した際の対応策が図られない。これほどまでの脆弱性はない。ということでそれから以降、俺は自分なりに原発について調べることにした。

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■マークⅠ型原子炉の脆弱性

ちなみに、現在日本においては、廃炉工程のものも含めて50基以上の原子炉が存在する。また、この中の10基でGE製マークⅠ型原子炉が採用されている。既に廃炉が決定されているものもあるが、東北電力女川原発1号炉、東京電力福島第一原発1号炉、2号炉、3号炉、4号炉、5号炉、日本原電敦賀原発1号炉、中部電力浜岡原発1号炉、2号炉、中国電力島根原発1号炉である。さらに、マークⅠ改良型としては、東北電力東通原発1号炉、2号炉、女川原発3号炉、中部電力浜岡原発3号炉、4号炉、北陸電力志賀原発1号炉、中国電力島根原発2号炉を挙げることができる。さてこのGE製マークⅠ型原子炉、実は曰くつきのものであり、米原子力規制委員会が80年に再評価した際、耐震性に疑問を指摘していたタイプの原子炉である。

マークⅠ型原子炉は、もともと米国が日本に売った技術であり炉であるわけだから、当然のこと、米国の原発でも採用されている。しかしよくよく調べると、アメリカでマークⅠ型原子炉が設置されているのは、東部に限られている。これがなぜかは、すぐに察していただけることだろう。つまり西部は地震が多いことから、耐震性に問題があるマークⅠ型原子炉が避けられているからである。

ところが、地震大国である日本では、これを各所で採用している。このリスク、小学生でも十分に理解できるはずである。

このようなことが、まかり通ってしまうのはなぜか? それは国の決定に間違いはなく、間違いがないことは完璧だからである。俺は日本に産まれたことを誇りに思っているし、日本という国が大好きである。また、国の政策にあれこれと文句を付けたくはないが、それでもさすがにこれはない。

 

■文明を放棄する選択権を持てない人類

話かわるが、あなたは「北斗の拳」という漫画をご存じだろうか。核戦争によって人類の多くが死滅するとともに、社会や文明が崩壊した以降、力によって世界を征する乱世の中のストーリーである。しかしこれ、実際にはあり得ない展開である。

文明を放棄すれば電気を作り出すことができない。電気を作り出すことができなければ、世界に存在する400基以上にも及ぶ原子炉のすべてがメルトダウンを起こし、ほぼ同時に大爆発を起こすからだ。つまり、チェルノブイリや福島第二原発以上の大惨事が、全世界各所で同時多発的に発生することになる。

「そもそも原発があるということは、電力があるということだ。その電力で冷却もまかなえるから爆発しようがないではないか」

そんな意見もおありだろう。しかし、文明や社会構造が崩壊した場合、誰がそれを管理するんだろう。また、使用済み燃料を誰が処理してくれるのだろうか。すでに人類には、文明を放棄する選択権はない。よって、原発を安心して使用するためには、ヤマトの諸君にイスカンダルへと即刻発進していただく必要がありそうである。

 

■未来を見据えたエネルギー政策

日本はエネルギー資源のほとんどを輸入に頼る必要がある。エネルギーを輸入に頼らざるを得ないということは、すなわち軍事的ならびに外交的脆弱性を持つことを意味する。戦時において、エネルギーを断たれてしまえば、それだけで国の存続が危うくなるからだ。このため、できればエネルギーの多くを自国で生成する方法へと、早急に舵取りを行なう必要がある。

この舵取りにおいて、最初に目が行くのが原子力である。ところが、技術的に原子力はそのレベルに到達していない。これはプルトニウムの再利用率やその安定性を見ても明らかである。また、原子力の場合、燃料廃棄物の処理方法や場所にも問題がある。さらには、原子燃料を生成したり使用済み燃料を加工する場合においても、どうしても海外に頼らざるを得ない部分が残る。一度事故が起これば、県一つを失うことにもなりかねない。

一方で、日本近海には、数多くの自然資源が眠るとされている。これまでこれらの採取に積極的でなかったのは、あまりにコストがかかる一方で、利権を容易に得にくいという構造的側面もある。しかし、日本の未来を明るいものにするには、そろそろ本格的な投資が必要なのではないかと思える。

また、原発を停止しても、大きな利益を計上できるだけの力が日本の電力インフラにはある。仮に天然ガスを一括購入する法人を設立してしまえば、天然ガスの輸入コストは、それだけでも大幅に削減することができるはずである。これにより得た利益で、新たな天然資源採掘の技術開発を行なえば、エネルギーの輸入比率を低減させることができるはずである。

原子力が大きなドル箱であることはわかる。また、軍事的戦略において、原子力たる素材を残す必要があるのも理解できる。しかし目先の利権や戦略ばかりに目をやるのではなく、せめて日本の未来にも、政府は目を向けていただきたいと考える。高度な技術力を持ち、常に世界の最先端を行くことができる日本のことである。官民一体で動くことができれば、必ず道は開かれるはずだからだ。

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