50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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日記をつけることの意味を55歳で考える


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■飽き性男が日記を続けるコツとその理由

日記をつけていらっしゃるだろうか。俺は、これまで不埒に生きてきたし、何事もあまり長続きしないダメ男だが、不思議と日記は日々つけていたりする。飽き性の俺がなぜ日々日記を続けることができるかだが、これにはいくつかの理由が存在する。

まず第一の理由としては、結構自由に捉えているという点を挙げることができる。日記は毎日かかさず記述されているが、書き忘れる日も当然ある。また時には3日程度忘れていることもあったりする。しかしこれでいいことにしている。

忘れたら、とりあえずあれこれと3日間の出来事を思い出して、記すことで追いついたりする。絶対にその日に書かなければならないなとどいったルールを設定してしまうと、逆にそれが邪魔をして、長くは続かなくなることもあるだろう。つまり、自然体で日記を捉えておくことが必要である。

第二の理由は、のちに読み返すことがとても面白いと思えるからだ。

たとえば1年前の今日、自分が何を考え、何をしていたかをつぶさに知ることができる。まあ、おおよそは「俺って進歩がねえな」と凹むことになるわけだが、それでも積み上げる何かをもっていると、それがどの段階にあるかを知ることができたりする。

また、その時の考えが、その後にどのような影響を与えたかの検証もできる。たとえば、日記である計画を立てたとする。しかしその計画をものの見事に忘れてしまっていたとしよう。ところが、別の事象と絡んだ時に、一気に具体的な計画としてまとまり、具現化するための道を歩みはじめるといった流れを、追っていくことができるのは面白い。

さらには、10年以上も前の日記を読み返すことで、完全に記憶から消えていたことを思い出すことができる。本来覚えておかなければならないことなのに、完全に失念していることは、意外に多いものである。

「はて、こんなこと俺、したっけ?」などと何度も読み返すものの、その時の情景を思い出すことができないといったことさえある。しかしそれも、その前後の日記を読み返していると徐々に記憶として取り戻すことができるものである。

第三の理由は、自分の人生の存在を、自ら証明することができるといった点にある。

人生とは、何も考えていなくても、生まれた瞬間から死に向かって歩み始める。誰もが死ぬまでの間、新たに訪れる朝を経て1日を過ごし、そして夜になれば眠りにつくことを繰り返していく。しかしその奇跡は、誰が追うものでもなく、あくまでも自分のみが知るべきものである。

ところが当人がそれをまったく考えない場合、はたしてその人生が存在したものなのかという部分も危うくなってしまう。まあ、人の人生だから、あってもなくてもあまり影響はないわけだが、それでも自分が刻んだ時間は、自分が生きている間だけでも、振り返ることができる状態を保ちたい。

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■自分の人生の存在確認ができる日記

 日記をつけていれば、それを読み返した段階で「ああ。俺の人生、ちゃんとここにあるじゃん」とその存在を認識できる。これだけでも、結構意味があることなんじゃないかと思ったりする。

なお、自分が死ぬ際には、棺桶の中にいれてもらっても良いだろうし、提示したい部分は妻子に渡してもよいと思う。俺の場合、資産などは残せそうにないので、日記の一部を残してやろうかと思ったりもする。まあ、妻子からすれば「そんなものいらない」と思うかもしれないわけだが。

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