50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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「死んだらどうなるんだよ」の疑問に答えてみる


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■誰もが迎える「死」を考える
50代になると、どうしてもちらついてくる問題に「死」を挙げることができると思う。この世に生を受けた以上、いずれは誰もが死を迎える。

諸先輩方々に「死」について問うと、「年齢とともに、死への恐怖は薄れるものさ」と諭されることがある。俺にはまだその実感はわかないが、老化とは案外そんな機能も持ち合わせているのかもしれない。実際、徐々に黄昏領域に移行し、自分の知らない間に自らの死を迎える人もいることだろう。

しかし俺の場合、年金生活も危ういので、黄昏ている余裕はなさそうである。まあ、人生なんてどう展開するかは、わからないわけだが、少なくともそんな状況下にはあるわけだから、きっと黄昏ることなく死を迎えることになることだろう。

さて、では死んだらどうなるんだろうかと考えてみる。

物理的生理的に考えた場合、意識とは脳の活動によって得られているはずだから、死んで呼吸や心臓が停止し、脳に酸素が供給されなければ、脳も死に至る。また、それからしばらくすると、日本の場合は火葬されてしまうので、骨と灰しか残らない。

よって意識は当然なくなるわけだから、それで終わり。諸行無常とあいなるわけであり、永遠の眠りにつくわけだ。まあ、長い人生を必死に生き抜いてきたのだ。それはそれでいいんじゃないかと思ったりもする。

さて、では本当に死後の世界は存在しないかというと、これは私たちには知る術がない。と、こんなことを書くと、非科学的なスピリチュアルの世界に足を突っ込んだ危ないおっさんに思われそうだが、このように考えるのにはある種の論理が介在している。

たとえばこうだ。

私たちが住むこの宇宙の存在自体、私たちはまだ解明できていない。いかにして宇宙が創世され、そして終焉を迎えるのか、そしてそれはいつなのかは、現代の科学水準では、答えを導き出すことができない。

この宇宙の創世において、現在ではビッグバン理論が用いられることが多い。一点から始まり、それが大爆発を起こしたことで、このどこまで続くかわからないほどの広大な空間が創世されたという。

しかし考えてみていただきたい。ひとつの銀河は、太陽規模の星が1000億から100兆個も集まることで構成されている。また、欧州宇宙機関によると、現在の観測できるもののみでも、この宇宙には、その銀河が7兆3750億も存在するそうだ。

それが一点から?

先日飲みならがそんな話を友人としていると彼曰く、
「そんなのが一点からかよ。こりゃ便秘のときのあの固さなんて比じゃないくらいの質量だろうなあ」
といっていたが、まったくその通りである。

さて、宇宙創世には、超ひも理論(超弦理論)というジゴロが聞いたら泣いて喜びそうな考え方もあるという。しかしこれを証明するためには、宇宙は11次元で構成されなければならないとされているんだそうだ。でも、四次元でさえわけがわからないのに、それって何さってことしかいえない。つまり、上の次元を見ることはおろか、認識することさえ難しいということだ。

たとえば2次元に生きる生物が存在したとする。2次元なのだからxy軸による平面の世界を彼らは生きることになる。しかし私たちが認識するz軸、つまり高さの概念を知ることはできないはずだ。なぜなら、彼らの世界にはそれ自体が存在しないからである。

同様に私たちは、三次元を超越した世界を明確に理解することはできない。まあ、えらーい学者さんなら話は別なのかもしれないが、でも、それを実感することは彼らとて難しいことだろう。

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■未解明なことが存在しないとは限らない
前置きが長くなったが、このように、現状理解できないこと、解明できないことが、すわなち存在しないとはいいきれない。

実際、父が他界してから数日後、まだ1歳だった子供が天井の一点を見つめ、笑顔で「バイバイ」といったことに驚かされたこともある。まあ、偶然そう聞こえただけかもしれないが、私たちが見きることのできない世界が、実はすぐそこに存在するかもしれない。そしてそのことを肯定できない一方で、否定することもできない。

また、上の次元があるとするのなら、それは広大な空間ではなく、ひとつの意識かもしれない。そして私たちの死は、その意識へと、単に戻るだけかもしれないのだ。

とまあ、これ以上書くと「やっぱりこいつ危ない」と思われそうなのでこの辺で止めておくことにしよう。

しかし俺は自らの死を迎える際、妻子には次の言葉を残そうと考えている。
「悲しむな。俺はいつもお前らを見守る。また、お前らが寿命を迎えたのなら、必ず迎えに来てやるから、それまでは心配せずに楽しんで人生を生きろ」
高卒でまともな職もない最低男にしては、立派すぎる言葉かもしれない。でもまあ、最後ぐらいは格好良く逝きたいと密かに目論んでいる次第である。

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