50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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定年後に持っていなければならないものとは


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■老後の姿が見え始める50代

若い頃にはまったく考えることがなかったが、55歳にもなると老後の姿が鮮明に見え始めたりするものだ。また、定年を迎えた人々の様子もよく目につくようになる。つまり自分とだぶるわけだ。

先日も安飲み屋で65歳の人と酒をのんだが、話にまったく違和感やギャップがなく酒がのめることに気づいた。若者から見れば、65歳なんてきっとじいさんもいい所だと思う。でも、私からすると違和感を感じることのない飲み友達であり、私もとしをとったと認識せざるを得ない。

でもいっておくけど、矢沢永吉さんは、これを執筆している時点で65歳だからね。つまり私はE.Yazawaよりも10歳も若い小僧ってことです。まあ、そういうことです。

さて、この年齢になると見え始めるリタイアメント後の人生だが、この年代に絶対に持っていなければならないものに、私はいま気づき始めている。

これって何だと思いますか?

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■「日々やること」を用意しておく必要性

まあ、まずはカネなんだろうけど、それはさておいて、おカネ以外に必要なもの。それは、何でもよいので「日々やること」を用意しておくことである。

これをまっとうな人生を送っている同年代の友人に語ったら、「そんなものは持ってるさ。ていうか、これまで忙しかったのでやりたいことは山ほどある。暇になることはないと思うよ」と胸をはる。でも、実際にリタイアした人のその後の人生を私はよく知っている。

定年後、半年から1年は皆充実した時を送る。ある人は旅行へ、またある人は釣り三昧だ。でも、この程度の遊びは1年もしないうちに飽きてしまう。

問題はその後だ。その後の死ぬまで続く長い時間である。

いつも自宅でぶらぶらとしていると、次第に奥さんはそれを不満に思うはずである。これまでは、仕事に出て夜に帰ってくるから、奥さんは昼間は夫の面倒まで見る必要がなかった。しかし夫が定年した以降は、フルタイム顔を付き合わせなければならない。しかしこれ、結構な負担になるようだ。

そこでやむなく朝起きると、カフェなどにひとりで足を運ぶことになる。しかしそこでやることもないので、ひとり椅子にすわってボーッとする。そしてこの繰り返しとなるわけだ。これまで思い描いてきた老後の素晴らしき第二の人生が、カフェでひとりボーッとするだけではあまりに寂しい。

だからこそ必要なのだ。長期的な視点に立った「日々やること」を持つことがだ。

たとえば、60歳から10年、20年を必要とする何かをしっかりと考えることだ。これは、趣味でもよいし、実際に何かのビジネスを成し遂げることでもよいと思う。自分なりに没頭できる何か。これさえあれば、それを中心に日々を過ごすことができる。そして、空いた時間に旅にでかけたり、釣り三昧を楽しむという余暇があればベストである。

これまでは、仕事をしなければならなかったから、私のような不埒な人間以外は、十分な自由時間を得ることができなかったはずである。しかしだからこそ、たまの休みが待ち遠しく、楽しみなのだ。

しかし、フルタイムのフリータイムは意外に厳しいものがある。日々、刺激のない時間が永遠に続くのだ。これ、実際に体験してみればお分かりになると思うが、結構苦痛である。

だからこそ長期的な計画をしっかりと立て、その上でリタイアメントすることを強くお勧めする。リタイアはしていない(できない)が、プー太郎同然の私がいうのだから間違いはない。・・・はずである。

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