50代からの貧乏ながら気楽な人生

ミドルの視点から見たさまざまな問題やネタを綴ります。

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活字離れはしていないはずなんだが?

■活字離れは・・・してませんよねぇ?

近年書籍の売上が減少傾向を続けてきている。出版社は軒並み減収減益となっているようで、厳しい状況が続いているはずである。また、新聞の購読者も年々低下しているようだ。
まあ、これは通勤電車の様子を見るだけでも容易に察することができる。昔は誰もが通勤電車の中、2つ折りや三つ折りにした新聞に目を通していたものである。ところが現在では、皆スマホに目を落とす。

ただしスマホであったとしても、文字を読んでいるわけだから、文字離れとはいえない。また、ネット検索をして情報を得る際には、キーワードを入力して目当ての記事を探し、それを読むわけなので、これまた文字を読むことになる。さらには、新聞の購読者数が年々低下する一方で、電子版新聞の高読者数は年々増大しているようであり、つまりは、紙媒体は減少しているものの、それは単に文字情報媒体が紙から電子版へと移行しているに過ぎず、日本人の文字離まで心配することはないのだろうと、少なくても私はそう考えていた。

ところがである。

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■文字を介さない情報入手法

最近になってネットから情報を得る方法として、文字を用いない方法が一般化しつつある。
情報を検索する際に、複数の単語を検索窓に入力するのに変化はない。しかし検索された情報は、最近は文字による情報でない場合も少なくない。何だと思われるだろうか。

それは動画である。最近ではありとあらゆる分野の動画が、YouTubeを始めとする動画配信サイトにアップされている。このため、動画配信サイトで検索をすることで、目的とした情報を文字ではなく動画として得ることが可能となってきている。

この手のサイトには、全世界から様々な動画がアップされる。最近ではライブ配信も手軽にできるようになっており、誰もがスマホ一台あれば全世界へと動画で情報発信をすることができる。

なお、動画情報はその国の人々の言語が用いられるが、最近では自動翻訳機能も実装されているので、話している言葉を、日本であれば日本の字幕スーパーである程度は把握することができる。この際、表示される文字を読んでいるわけだが、テクノロジーの進化はさらに続き、しばらくすれば、自動翻訳をした情報を音声として聞くことができるようにもなることだろう。

すると、言語の違いによる情報の垣根も排除されることだろう。つまり、あらゆる言語によって配信された情報を、母国語で得ることができるようになる。また、それに伴って、市場も今以上に急拡大していくに違いない。

■文字や言語さえも不要なコミュニケーション

文字離れは、コミュニケーションの分野においても進みつつある。これまでのSNSは、TwitterであれLINEであれ、コミュニケーション手段は文字だった。ところがコミュケーション手段においても文字を用いない方法が急速に普及してきている。しかもこれは言語の差異をも超越する。

「コミュニケーション手段に、文字も言語も用いない?ありえない」

と、そう思われるだろうか。しかしあるんだな、これが。

それは写真である。たとえばここ数年で急成長した写真共有サイトにInstagram(インスタグラム)の存在を挙げることができる。Instagramとは、写真を撮影、加工、シェアできる写真特化型のSNSだが、このサービスもまた、スマホ一台あれば誰もが自分の写真をシェアすることができる。

また、他の人の写真をフォローすれば、それはそのままタイムラインに流れるし、写真に「いいね!」を簡単に付加したりコメントを寄せることも可能だ。

写真の場合、もともと言語や文字に依存することがないので、素敵な写真であれば全世界のユーザの共感を得られるメリットがある。つまり、文字を介することなく、コミュニケーションを成立させることができるわけだ。

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■徐々に変化する情報形態と予想もつかない近未来

文字離れの実態は、自身の生活を振り返るだけでも十分に見て取ることができる。私の情報源は書籍であり、そして人生学においては多くの方々のブログであるのだが、最近は、それに加えて動画をよく観るようになった。これまで活字や文字で情報を得ていた自分に、意識することなく文字以外の情報が流れ込みつつあるわけだ。

ところで最近、知人がFacebookを始めたことを自慢していたが、お若いユーザから言わせると、「Facebookはおっさんばっかりじゃん」となるんだそうである。いやはや、時代の変化についていくことは難しい。

さりとて言語や文字がなくなってしまうことはないとは思う。自国の活字さえ読めなくなる時代は、個人的にもあまりにさびしいものがあるし、そもそも学問を学ぶ上で、文字は不可欠なものと言えるからだ。

ただしこれも、テクノロジーの進化は乗り越えてしまう可能性もある。脳とコンピュータのインタフェースが確立されてしまえば、脳がネットから情報をダウンロードすることができるようになるわけであり、教育自体のあり方にも大きな変化が到来する可能性を否めない。いやはや、すごい時代が到来しようとしている。

 


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